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春と言えば「桜」…
そんなイメージを抱く人も多いでしょう。
桜はとても可愛くキレイで、それでいてどこか儚げ…
そんな桜を見ようと花見の時期は、桜の名所に多くの人が集まり、花見の場所が取れないほどです。
中にはできるだけ多く桜が見たいと何回も花見に行っている、という人も多いかもしれません。
それほど私たち日本人は桜が大好きなのですが、果たして日本人が桜を好きな理由とはどういったものなのでしょうか?
今回はそんなお話をしたいと思います。
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日本人が桜を好きになった歴史
日本人は桜が大好きです。
ラグビー日本代表のユニフォームには桜のマークが入っていますし、ホッケー女子日本代表は「さくらジャパン」と呼ばれます。
また、東京五輪招致活動では、色鮮やかな桜のエンブレムが使われました。
そして何と言ってもお花見…
桜をめでながら、宴を催す花見は、もう日本の春の風物詩といってもいいでしょう。
花見の風習は奈良時代からはじまったようですが、当時の花見は中国から伝来した梅でした。
それは「万葉集」で桜を詠んだ歌が43首なのに対し、梅を詠んだ歌が110首以上もあることからもわかります。
しかし、平安時代の「古今和歌集」になると、桜が70首、梅が18首になり、逆転しています。
「日本後紀(にほんこうき)」には812年に嵯峨天皇(さがてんのう)が京都の神泉苑(しんせんえん)で大規模な花見の宴を開いたことが記録されています。
この頃から、桜の花見が貴族の間に広まり、これが日本人の桜好きの原点ともいわれているのです。
平安時代にも貴族の遊びとして、お花見はさかんに行なわれていました。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
桜というものが、もしも世の中になかったなら、春が来るたびにいつ咲くかと気にかかり、またいつ散るかと惜しむような心もなくて、のんびりとしていられるだろうに。
平安時代きっての色男として知られた、在原業平も、こんな風流な和歌を詠んでいます。
そんなお花見が庶民にまで広まったのは、江戸時代だとされ、今の桜の品種・ソメイヨシノがつくり出されたのもこの頃です。
それまでは桜といえば山桜で、豊作を祈念して、お弁当持参で山に登り、桜の下で食べたり、歌ったり、踊ったりの宴を催していました。
桜の「サ」は田の神様の意味、「クラ」は神様の座る場所という意味です。
人々は、田の神は、冬の間は山の神様として鎮まっていると考えていました。
そして桜は、その神様の依り憑く「依りしろ」であると考えられていたのです。
そのため、桜の下で宴をした後は、木の根元にお酒をまいて、桜の花がついた枝を手折って持ち帰り、庭や田の水口に立てて、桜の木に宿っている山の神を、田の神として降ろしたのだそうです。
田の神様が山からお帰りになる日は、桜の開花が目安になっていたからでした。
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日本人が桜を好きな理由とは何か?
さて、古来より日本人と桜は親しい関係にあることがわかりました。
しかし、どうして桜はこれほど日本人の心をとらえて離さないのでしょうか?…
桜の芽吹きを目にすると、日本人は本格的な春の訪れを実感します。
そして瞬く間に咲き誇る桜の美しさに感嘆します。
しかし、そんな桜もわずか1~2週間で散ってしまい、たくさんの桜の花びらが桜吹雪となって風に舞っていきます。
一年の雌伏(しふく)のときを経て、一斉に美しい花を咲かせる「生命の息吹」と、あっという間に散ってしまう「儚(はかな)さ」…
桜が日本人の心をとらえる理由は、そこにあるのではないでしょうか。
それは、あらゆるものは刹那的(せつなてき)に移り変わっていくとする仏教の諸行無常(しょぎょうむじょう)の考え方にも通じるものがあります。
また桜の開花が「田の神様がお帰りになる日」の目安とされていたように、その昔、春の花には、農業・漁業・狩猟などの開始を知らせる役割がありました。
桜の花が占いに使われることも多かったそうで、島根県隠岐の島にはその花の咲き具合で一年の豊作・凶作を占う「世間桜」と呼ばれている桜がありました。
他にも山梨県甲府市の金櫻神社は水晶発祥の地として有名です。
この神社のご神木で「金のなる木」と言われている鬱金の桜にお参りし、水晶のお守りをいただくと一生、金運に恵まれるのだそうです。
このように日本人と桜にはとても長い歴史があったのですね。
また今や日本人のみならず、桜は外国でも愛されており、米国の桜祭りには毎年多くの人が訪れているそうです。
明治の終わりに友好のあかしとして日本から米国へ桜が贈られたというのも有名な話ですね。
このようにして、日本人と桜の間には切っても切れない関係があり、長い歴史の中で桜が愛されていくようになったのでしょう。
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