天国と言えば一般的には「死後に善良な魂が向かう楽園」というイメージですが、実は聖書にはこういう意味での天国の明確な記述はありません。
イエスは「神の国は近づけり」と唱えましたが、これは地上の人間の魂が死後に行く場所というより、神の正義による支配が世界にゆきわたった状態…
つまり本来は、現世に実現すべき宗教的ユートピアをさす語句でした。
ただし「新約聖書」の「使徒行伝」では、死後のイエスは神の右に立っていると記されています。
ここから発展して、後世の教会では、よき信仰者は死後には神の側に行くという考え方が生まれ、さらに「旧約聖書」のエデンの園のイメージと結びつき、死後の楽園=天国という概念が広まったといわれています。
一方、地獄と言えば一般的には「死後に悪しき魂が罰せられる場所」というイメージですが、これは「旧約聖書」でもゲヘナという言葉で語られています。
このゲヘナとは、ヘブライ語での「ゲー・ヒンノム(ヒンノムの谷)」という語句から転じたものです。
ヒンノムの谷とは、古代ユダヤ民族の伝承で、人や動物の死体が投げ込まれる谷のことだったといいます。
また、「新約聖書」の「マルコによる福音書」ではイエスによって、地獄は「うじがつきず、火も消えることがない」と語られています。
さらに、13世紀以降のカトリック教会では、煉獄という概念が生まれました。
これは、小さい罪を犯した者が浄化を受ける場所とされています。
煉獄での苦しみをへて罪の償いを終えた者は、天国に行くことができると考えられていました。
しかし、煉獄の概念は聖書には登場しません。
このため、教義を聖書のみに立脚するプロテスタント諸派では、煉獄の概念を認めていないのです。
なお、カトリック教会では、煉獄と少し似た概念で、リンボというものがあります。
これは、天国または地獄の周縁、辺境地を意味し、洗礼を受けずに死んだ子どもの魂などが行き着く場と解釈されました。
こうした中間的な概念が考え出されたのは、人間は決して完全な善と悪にも二分しきれず、善良な心や信仰への意志を持ちつつ、それを果たしきれなかった人間もまた少なくなかったためなのでしょう。
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