中国は宋時代、臨済宗僧である無門慧開(むもんえかい)の言葉に「無という関門をくぐることができれば、達磨や歴代の祖師たちと手に手をとって歩き、同じ目ですべてを見、同じ耳ですべてを聞くことができるとあります。
これこそが把手共行の原点です。
それでは把手共行について学んでいきましょう。
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把手共行の意味を学んで信じる人と手をつなごう
手をとって共に行く。大変わかりやすい禅語です。
手をつなぐなら恋人がいい?そう、愛する人といつも一体であると感じられたらすばらしいことでしょう。
ではこの禅語はだれと手をつなぐというのでしょうか?
それは達磨であり、六祖慧能や臨済、道元です。
仏であり、同じように悟りを開いた祖師たちと共に手をたずさえて行くというのです。
道元禅師の有名な歌があります。
峰の色 谷の響きもみなながら わが釈迦牟尼(しゃかむに)の声と姿と
自然のすべては仏のすがたそのものであり、わが身と一体なのだ…
というしみじみとした喜びが伝わってきます。
悟りを開くとは自分の内なる仏性に目覚めることです。
仏と自己が調和し一体となり、手に手をとって生という旅をつづけるのです。
この仏と一体であるという喜びこそ「把手共行」の喜びなのです。
長年連れ添ったパートナーでも、その一体感をどこかに置き忘れてしまっている人たちも多いかもしれません。
信じているなら、愛しているなら、恥ずかしがらずにたまには手をつないで歩いてみましょうか。
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