12世紀頃から17世紀頃にかけての中世ヨーロッパでは、東方にプレスタ―・ジョンという修道士が王として納めるキリスト教国があり、その国は強い軍隊を持ち、大変栄えているという伝説が広く流布していました。
そして、その国はプレスター・ジョンの国と呼ばれ、多くのキリスト教徒の憧れの地となっていたのです。
ちなみに、伝説によれば、プレスタ―・ジョンは東方の三博士の子孫であるとされていました。
さて、これだけでは漠然とした伝説の域を出ない話ですが、当時のヨーロッパの人々にとって、東方にキリスト教国があるというのは、まったく信憑性のない話でもなかったのです。
なぜなら、かつてキリスト教の異端として西洋から追放されたネストリウス派が東方世界に進出した事実は、一定の人々に知られていたからです。
そのうえ、当時ヨーロッパのキリスト教徒たちは、イスラム教の進出に悩まされており、どこか遠方からキリスト教国の軍隊が助けに来てくれることを渇望していました。
こうして、史実と願望が入り混じる形で、プレスター・ジョンの国の実在が多くの人々に信じられるようになったのです。
しかし、プレスター・ジョンの国がどこにあるかは誰にもわかりませんでした。
ある者はインドにあると信じ、ある者はアフリカ大陸のエチオピアにあると信じ、またある者は中央アジアにあると信じて探しましたが、誰一人として実際にプレスター・ジョンの国を見つけることはできなかったのです。
笑えない勘違いとしては、12世紀以降、西洋を次々と侵略していったモンゴル帝国の軍勢を、当初はプレスター・ジョンの国のものだと信じた人たちもいたといいます。
それでも、ヨーロッパのキリスト教徒たちのプレスター・ジョンの国を見つけたいという情熱は止むことはなく、これが大航海時代の幕開けの一因となったともいわれている。
だが、皮肉なことに大航海時代によって世界の地理がほぼ明らかになると、プレスター・ジョンの国などどこにもないことが明らかになり、これにより幻の国探しは収束していったのです。
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