インドにイエスの墓があるというの伝説がありましたが、実はもっととんでない伝説も存在しているのです。
それは、なんと日本にもイエスの墓があるというものです。
イエスの墓があるとされているのは、青森県三戸郡新郷村大字戸来(旧戸来村)…
この村の丘の上にはふたつの盛り土があり、ひとつは十来塚、もうひとつが十代墓と呼ばれています。
そして、十来塚はイエスの墓であり、十代墓はイエスの弟イスキリのものだとされているのです。
墓の由来に関する伝承はインドのものとよく似ているのですが、微妙に違う点もあります。
こちらの伝承によれば、ゴルゴタの丘で処刑されたのは、イエスではなく、その弟イスキリでした。
一命をとりとめたイエスは、エルサレムを脱出するとシベリアを横断して、船で青森県八戸に上陸…
その後、新郷村にまでたどり着き、この地で日本人を妻とし、天寿をまっとうしたといいます。
弟イスキリの墓があるのは、イエスが自分の身代わりとなった弟を悼んでのもののだとか…
ちなみに、インドでの伝説と同じように、青森の方でもイエスは2回日本を訪れたことになっています。
イエスは21歳のときに一度、日本にやってきて修行をし、33歳でイスラエルに帰り、伝道を開始したというのです。
これだけを聞くと非常に眉唾物に思えますが、イエスがこの地に来た証拠とされるものがいくつかあり、伝説を完全に頭から否定することはできないと考えている人も一定数いるのです。
イエスが青森に来た証拠とされる一つ目は、新郷村の旧名である戸来村という地名…
ユダヤ人は別称をヘブライ人ともいうのですが、戸来とはそのヘブライがなまったものだというのです。
二つ目は、この地に伝わるナニャドヤラという歌…
この歌の歌詞は「ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ」と、まったく日本語としては意味不明なのですが、ヘブライ語で読み解くとよく意味がわかるといいます。
ヘブライ語に翻訳すると、歌詞の意味は「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」となるとされています。
つまり、実はユダヤ民族が神の名を称えながら敵を倒す進軍歌だというのです。
そして、三つ目は、戸来村の旧家に伝わる家紋です。
その家紋は五角形で、これはユダヤ民族の象徴である六芒星とよく似ています。
他にも、かつて戸来村には子どもの額に黒い十字を描く風習があったなど、この地にはイエスやユダヤ民族と関係が深いとされる証拠がいくつもあるのです。
もっとも、これら証拠とされるものは、どれも間接的なものにすぎず、イエスが日本に来たことを直接証明するものではありません。
また、そもそも学問的には残念ながらほぼ否定されています。
例えば、ナニャドヤラの解釈について民俗学者の柳田國男氏は、歌詞の意味は「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」であり、女が男を誘う恋歌だとしています。
もちろん、これが正解だとも限らないのですが…
とは言え、現在、新郷村ではイエスの墓を観光資源として公開しています。
機会があれば伝説の真偽をその目で確かめてはいかがでしょうか。
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