カトリックの大切な聖母、イエスのお母様である方がマリアなのはご存知かと思います。
しかし聖母マリアは一体どのような方だったのかご存知でしょうか。
今回は、イエスの母マリアについてお話ししたいと思います。
聖母マリアとはどのような人物なのか?
イエスの母マリアが、大工のヨセフと婚約したとき、ヨセフはすでに中年…
もしくは初老に達しており、マリア自身は12歳から14歳の少女だったといいます。
現代日本なら明らかな法律違反であり、ヨセフは世間の非難をあびても不思議はないところです。
しかし、洋の東西を問わず古代では、こうした年の離れた男女の結婚は、さほど珍しいことではありませんでした。
ですので、二人の婚約も特にスキャンダラスなこととはみなされなかったのです。
けれども婚約期間中にマリアが妊娠し、しかもヨセフに心当たりがないとなれば、話は違ってきます…
ヨセフはマリアをふしだらな娘だと考え、婚約を破棄しようとしたのです。
ところが、そんなヨセフの前に天使が現われて告げました…
「マリアのお腹の中の子は、肉の交わりを経ることなく、神が宿らせた神の子だ」と。
ヨセフはそれを信じ、当初の予定通り、彼女を妻としたのです。
こうした伝説を「処女受胎」といい、マリア自身がやはり天使によって、自分の妊娠を知らされた逸話のことを「受胎告知」といいます。
彼女がカトリック教徒から「聖母」、「マドンナ(我らが貴婦人)」、「無原罪の御宿り」といった様々な称号で呼ばれるのは、これらの伝説があるからこそなのです。
世界の多くの宗教には、性交渉を汚れとみなし、処女性を尊ぶ傾向があります…
日本の神道でも、かつて巫女は処女でなくなると資格を失うとされていました。
キリスト教も例外ではありません。
そのため性交渉を経ずにイエスを生んだマリアは、そうした汚れとは無縁の存在として讃えられるのです。
特にカトリックでは、マリアは伝統的に子どもや病人、貧者といった弱者を守護すると考えられており、神聖視されています。
そんな彼女への崇拝熱は、ときに神やイエスに対するそれをしのぐほど高いのです。
例えばフランスとスペインの国境付近の村、ルルドには、万病を癒すといわれる泉があります。
それを発見したのは、19世紀半ばに現地に住んでいた貧しい少女だったのですが、彼女はマリアから、その位置を教えられたといいます。
このように、マリアが奇蹟をなしたという伝説が、カトリック圏には無数にあるのです。
しかし意外にも、キリスト教独自の経典「新約聖書」におけるマリアの存在感は、さほど大きくはありません。
イエスが手を触れただけで病人を癒したといった奇蹟はたくさん登場するのですが、マリアがそうした奇蹟に関与したという記述は、例の「処女受胎」を別にして、「新約聖書」にはほぼ皆無なのです。
このことは、マリア崇拝がキリスト教の成立当初からのものではなく、後代になって発生したものであることを示しています。
そしてそれは、古くから世界各地に存在した土着の女神たちへの信仰が、かたちを変えてキリスト教に吸収された結果だと考えられているのです。
キリスト教普及後も、人々は古い信仰を完全に捨て去ることを拒みました。
カトリック教会は、最初はそれを禁止しようとしていたのですが、やがて譲歩して、むしろマリア崇拝を奨励する方向へ、舵を切ったようなのです。
ただし、カトリックを批判して成立したプロテスタント諸派では、こうしたマリア崇拝もまた、本来のキリスト教のあり方ではないとして、否定されています。
ほとんどのプロテスタント宗派は、教祖の母として一定の敬意をマリアに払うにとどめており、彼女を神聖視することはないのです。
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