ある家庭では代々、身体の似たような部分が病気になり、遺伝をはるかに超えた不思議な現象が起こっている、と聞いたことがあります。
それはまさに因縁や祟りというものでは?
昔ばなしにも「祟りじゃ〜」というセリフが出てくるのを聞いたことがあるのではないでしょうか。
では実際に祟りというものは本当にあるのかどうか・・・・。
ある方のお話を元に見ていきましょう。
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祟りじゃ〜とかよく言うけど祟りは本当にあるの?
ある方のお話です。
その家では代々、なぜか男の子は十九歳になると亡くなってしまうというのです。
その方のお子さんも男の子で、それが心配でしかたがない。
これは何かの祟り、ではないかと案じていました。
話を進めていくと、そのご相談者のご先祖様の中に、十九歳で舌を噛み切って亡くなった男性がいらっしゃるということです。
おそらく時は明治。
その男性は自分の命をまっとうできなかったことを、どうやら後悔しているようです。
その為、その家に代々生まれる男の子のことをうらやんで、十九歳になると自分と同じように命を奪っていたのでした。
これが、いわゆる「因縁」というものです。
これを昔の人は「祟り」と言って恐れてきたわけです。
では、そんな因縁を断つにはどうしたらいいのでしょうか。
それには、何はともあれ、ご先祖様を気遣い、慰め、励ますことが先決です。
十九歳で亡くなったご先祖様に向かって、「あなたの口惜しい気持ちはよくわかります。さぞ無念だったことでしょう。たいへんでしたね。つらかったでしょう。もう二度と同じような悲劇が起きないよう、現世の私たちがこの家を守っていきますから、あなたはあなたであの世をまっとうしてください」。
そう語りかけて、お気持ちを鎮めてさしあげることです。
それが、真っ先にすべきことなのです。
特別な祈祷や御祓いをするより、そんなふうに言い聞かせてあげてください。
このように、もし何か因縁や祟りのようなものを感じることがあったなら、まず、ふすま一枚のあの世と交流し、ご先祖様に心の中で語りかけてみてほしいのです。
何か嫌なことがあったのではないか、この世に思いを残すことがあったのではないかと、毎日相手を思って、話しかけてあげてください。
それが「供養する」ということなのです。
仏壇に手を合わせなくても、お経をあげなくても、「供養」はいつでも心がけしだいでできるもの。
それを続ければ、きっと因縁は断ち切れます。
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