他人と話している時に思わず口走った言葉で、「あれ?本当はこんなこと思ってもいないのにな…」と感じたことはありませんか?
また、他人と一緒にいる時に、本来の自分ではなく装ってしまって疲れた…なんて感じたことがある方もいるかもしれません。
このように、他人といる時の自分と、一人でいる時の自分(本来の自分)が違うのはなぜなのでしょうか。
心の奥底の深層心理を見ていきましょう。
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他人の前の自分と本来の自分が違うのはなぜなのか?
人は他人と関わらずして生きていけません。
必ずどこかしらで他人と関わり合いながら、生きています。
他人と関わりあう上で、人間が無意識に必ず行ってしまうことは、他人と比較することです。
それは、自分を磨こうとするときに、自分自身の過去と比べて向上心を持つか、それとも他人と比べることで向上心が生まれるのか、の違いだと思います。
今までの自分、今までの自分の経験と比較しながら、自分を伸ばそうとする思い。
妥協も強調も闘争心も、まったく自分の判断だけで消したり登場させたりできるでしょう。
しかし、他人と一緒のときは複雑です。
まず自分自身にお伺いをたてて、納得させなくてはならないのです。
あとで悩まないように、かといって瞬間の決断力も必要ですから、ある程度、割り切らなくてはなりません。
そこで自分をごまかしたりなだめたりするのです。
その時に、あっ、一人でいるときの自分と違う、と感じ、自分というものの違いを意識するのでしょう。
自分一人の時、主役は自分のみですから思うように操れます。
ところが他人といる場合には、そうはいきません。
そこで、気持ちの調整が必要になってくるのです。
妥協というドライバーや、闘争心という磁石や、素直さというオイルや、透明性というフィルターを微妙に使いながら、自分の気持ちを調整しているのです。
これがまさに一人でいる時の自分と他人といる時の自分の違いです。
また、人から見た自分と、自分が思っている自分とにギャップを感じることもあるでしょう。
自分の思いと、他人の自分を見る意識とか視線ですが、ここはひとつ楽しみながら他人の目を「本来の自分」に近づけましょう。
人前であえて「自分の矯正」をしないのです。
一人でいるときの自分を思い出して、それを他人の目にさらしてしまうのです。
「えっ、そんな一面もあったの?」と思わせるのです。
無防備になるのもひとつの方法です。
恋も趣味も仕事も勉強も、すべての人が違っているからさまざまなことが起きるのです。
駆け引きなんてことも、他人がいるから存在する妥協と強調の結果です。
一人でいるときの自分と、他人といるときの自分の違いをこれからは意識してみましょう。
違いを「なぜ?」、他人の前では本来の自分が出せない…と悩むのではなく、違いを自ら楽しんでしまいましょう。
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