身心脱落(しんじんだつらく)…という言葉をご存知ですか?
これは道元禅師が修行のため宋に渡り、天童山の如浄(にょじょう)のもとで悟りを得たときの問答に見られる言葉です。
それでは身心脱落という言葉の意味を詳しく見ていきましょう!
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身心脱落の意味を知り心と体を覆っているものを払う
ここで言う脱落は生存競争から落後するとか抜け落ちるという一般的解釈ではなく、解脱と同じ意味で、一切のしがらみから脱して心身共にさっぱりした
境地を言います。
一切を放下し、何の執着もない自由無碍の精神状態です。
一日の始まりに体操やストレッチをして体をほぐすと、血液の循環がよくなり、全身がほかほかしてきます。
しばらくすると体がすっきり軽くなってきますが、体がすっきりすると心も軽快になったような気がしてくるから不思議です。
「身心脱落」とは、心を覆っていた妄執や煩悩のしがらみがなくなり、清々(すがすが)しくせいせいとした境地に達することです。
中国へ渡り、師の如浄のもとで修行をした道元禅師は、あらゆる束縛から解き放たれ、悟りを得た朝、師に「身心脱落」したと告げました。
身も心も澄みきった境地が「身心脱落」です。
妄執は心だけでなく体も覆っています。
だから日常のすべての所作が禅の修行なのです。
道元禅師は手を組み足を組んでの座禅こそ、体と心の曇りを払い、明鏡止水のような澄みきった心身を取り戻すためのものと主張します。
そう考えると、私たちも心と体を曇らせているものをときどき洗い直す必要がありそうですね。
こり固まった心もストレッチしてほぐしてあげましょう。
一日ほんのわずかでも坐禅や瞑想をする時間を持つだけで、心身ともに軽やかになりますよ。
ぜひこの言葉を日々心に留めておいてくださいね。
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