16世紀にグル・ナーナクがインドで始めた宗教…
シク教をご存知でしょうか?
ご存知の方も聞いたことはあるけどあまりよく知らない、という方も、シク教の特徴と歴史についてこの機会に詳しく学んでみませんか?
シク教とは?シク教の特徴と歴史について
シク教は、インドの民族宗教ヒンドゥー教の改革をめざした宗教です。
インドに渡来したイスラームの影響を受けて、ヒンドゥーの骨格とイスラームの肉との結合によって成立したものといわれます。
シクの名の由来は、古代インドの文語サンスクリット(梵語)の弟子(シシュヤ)という語の発音(訛りにもとづくものといわれ、同時にシク教の創始者ナーナクの弟子であることを表明する名称でもあります。
シク教の創始者ナーナク(1469~1538年)は、西北インドのパンジャブ州の中心都市ラホール郊外に住む商人の息子として生まれました。
結婚して二人の息子をもうけましたが、若い頃からヒンドゥー教の教えに精通し、ヒンドゥーとイスラーム両宗教の聖者との交わりを深めました。
特に、北インドで宗教活動を展開したカビール (ヒンドゥー教の改革者)には大きな影響を受けまました。
ナーナクは30歳の頃、沐浴(水行)中に霊感を受けて修行者となり、約20年間各地を遍歴する生活を送りました。
その後、インダス河支流の地カルタープルに定住して弟子の育成に努め、この地で生涯を終えました。
ナーナクの死後、シク教は歴代の指導者(グル)によって継承され、今日のシク教が形成されていったのです。
4代のグル、ラーム・ダースによってシク教の本山・黄金寺院の基が築かれ、その息子アルジャン・マル (5代グル)が、ナーナクをはじめとする諸聖者の詩や神々への讃歌を編纂して『アーディ・グランド』(根本聖典)を作成しました。
しかし、このアルジャンがムガール王朝によって殺されると、それ以後、シク教は反イスラームの傾向を強く帯びるに至りました。
この不和は、九代グルがシク教の勢力拡大に失敗して五代同様イスラム王朝(ムガール王朝)によって刑殺されたことによって激化します。
その後10代グル、ゴーヴィンド・シングがムガール王朝に対抗する武装集団(カーサー)を組織して、パンジャブ州に独立した軍事勢力を築き、ムガール王朝からの圧迫を防ぐことに成功しました。
教徒が長髪と半ズボン、鉄の腕輪、剣や櫛のミニチュアを身につけて、シング(獅子)を名乗るなどの、今日のシク教の決まりが定められたのはこの時代です。
グルは10代ゴーヴィンドで絶えてしまい、以後はその遺言により、歴代のグルの言葉を編纂した『グランド サーヒブ』(ゴーヴィンドの編纂)をグルに代えることになりました。
その後、シク教は、ゴーヴィンドに従う獅子派と、創始者ナーナクに従う易行派に大きく分かれ、今日に至っています。
ナーナクの教えは、神の唯一永遠性を全身全霊で敬い、黙想によって神を心に留め、偶像を排し、現世では自分の職業を通して積善に励むことを説いています。
現在、シク教徒はインドのみならず世界各国におよび、その勤勉さによって有力な社会的地位を確保しています。
世界で五番目に大きい宗教で、約3000万人の信者がいるとされているのです。
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