異端とは「正統から外れたもの」となりますが、これはキリスト教が成立した初期から存在していました。
まず、ユダヤ教の要素が色濃い教派や、古代ギリシアの神秘思想と結びついたグノーシス派などが異端と見なされたのです。
4世紀にローマ帝国でキリスト教が公認されると、イエスと神を同一視するアタナシウス派と、イエスはあくまで神の被造物とするアリウス派の神学論争が起きました。
そこで325年にニケーア公会議が開かれて、アタナシウス派が皇帝に公認されたカトリック教会の「正統」に定められます。
以後、キリスト教会では、教義の解釈や信仰生活のルールなどをめぐって数え切れないほどの神学論争がくり返され、そのたびに、教皇庁や東方正教会の中枢に認められなかった派閥が「異端」と見なされてきました。
中世期の西欧の異端としては、12世紀のフランスからイタリアで広まったカタリ派(アルビジョワ派)と、ワルドー派が有名です。
いずれも枢端な清貧主義を唱え、質素で厳格な信仰生活を徹底したのが特徴です。
やがて、貧しい庶民階層の間でも、教皇領からの収入で裕福な生活を送る正統派の聖職者よりカタリ派やワルドー派を支持する者が増えていきます…
教皇庁はこれを脅威と見なし、たびたび異端撲滅のための「アルビジョワ十字軍」を派遣して、血なまぐさい戦いがくり広げられました。
1231年には教皇グレゴリウス9世によって、異端審問裁判所が設置され、ヨーロッパにはきびしい異端審問の嵐が吹き荒れることになります。
異端と見なされた人々のほとんどは、弁護人なしの裁判で自白するまで激い拷問を受け、多くの場合は罪を認めなくても火刑となりました。
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14世紀には、もともと十字軍の騎士修道会だったテンプル騎士団が、異端と見なされて弾圧を受けたのです。
テンプル騎士団は、長らく聖地エルサレム守護のため西欧を離れて活動し、外部からはあやしげな秘密結社のように見えていました。
しかし、弾圧の真の理由は、彼らが信徒の寄付などによって多額の金融資産を持ち、フランス国王を脅かす財力をもっていたためだといます。
スペインでは、15世紀までイスラム教徒が国土の南部を占領しており、ユダヤ教徒も多く住んでいたため、イスラム教やユダヤ教の影響を受けたと見なされる異端がいくつか存在していました。
その例がアルンブラドス派で、神秘主義的な傾向を持ち、16世紀に厳しい弾圧を受けて壊滅したのです。
ロシアの異端では、フルイストゥイ派(鞭打派)が知られています。
一説によれば救済を得るためにわざと罪を犯すという特異な教義を持ち、ロシア皇帝家に取り入ったラスプーチンはこの教派の出身だったといわれています。
なお、一部では「異端=悪魔崇拝」という偏見があるが、これはほとんど異端を批判した側の一方的なレッテル貼りです。
異端とされた派閥の多くは、主観的には正しく神とイエスを信仰しているつもりの人々でした。
異端審問が激化した中世末期から近世には「魔女狩り」も多く行なわれました。
魔女と見なされたのは本来、キリスト教以前からのケルト族やゲルマン族の古代宗教にもとづく占いやまじないを行なっている者…
しかし、近隣の住民に好かれていない一人暮らしの女性などが一方的に魔女と見なされて、数多く処刑されたのです。
英仏百年戦争時代のジャンヌ・ダルクも、男の服を着たことが異端にあたると見なされて火刑となった一人です。
実は、プロテスタントの諸派も当初はカトリック教会から異端とされました。
しかし、1648年にウェストファリア条約で新教と旧教の平等が認められています。
また近代以降も、異端と見なされる教派は少なくありません。
現在のカトリック教会では、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、エホバの証人(ものみの塔)、統一教会(世界基督教統一神霊協会)を異端と公式に定義しています。
異端の定義はあくまで正統を主張する側からのものだが、明らかに反社会的な教義解釈を唱える教派もあり、異端がなくなることはないともいえそうです。
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