ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教…
それが「キリスト教」です。
さて、このキリスト教…
現在まで続くキリスト教の組織は、いつ生まれたのでしょうか?
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初期のキリスト教教団について
それはイエスの生前ではなく、処刑されたイエスが復活をとげたことで、イエスを知る人々が彼を救世主と認めるようになってからだと解釈されています。
最初期の教団組織は、イエスに直接従っていたペトロら12人の弟子たちが中心に作られました。
これを原始教会、または初期教会と呼びます。
ただし、少なくとも初期の段階では、彼らは自他ともにユダヤ教の中の一派という位置づけだったようです。
当初、キリスト教の教会というものはなく、ペトロたちはユダヤ教の神殿に礼拝していたといいます。
最もイエスを救世主と見なす彼らは、ローマ帝国では少数派のユダヤ教徒の中でも、さらに危険な異端と見なされる存在でした。
これは多くの宗教に共通することです。
イエスと同じように、ブッダも孔子も、その教えを説き始めた当時には、異端視される革命思想家でした。
やがてキリスト教は、ユダヤ民族だけにとどまらない広がりを持つようになります。
ペトロやパウロらは、ユダヤ民族が故郷を失って以来の流浪の結果、地中海地域の共通教養となるギリシア語を身につけていました。
このため、彼らはギリシア・ローマ文化圏にイエスの教えを広めることができたのです。
当時のローマ帝国は多神教であったため、皇帝ネロ(在位54~68年)などは、キリスト教徒に磔刑や火あぶりによる容赦ない弾圧を加えました。
しかし、キリスト教徒は次第に数を増やしていきます…
多くの民族をかかえるローマ帝国では、皇帝や貴族が富をむさぼる一方、多数の奴隷や貧しい辺境民が一方的な支配を受けていました。
こうした人々が、ローマ人の贅沢な宗教儀礼に反発し、「神の前には男女や身分の別なくあらゆる人々が平等である」と説くイエスの教えに救いを見いだしたのは、自然な流れといえるでしょう。
弾圧されたキリスト教徒は、文字どおりに地下に潜りました。
ローマやその植民都市では、殉教者を葬るためカタコンベと呼ばれる墓所用の地下室が作られ、信徒たちは度々そこに集って礼拝を行なったといいます。
こうした試練の数々が、返って信徒の結束と信仰への意志を強めたとされているのです。
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