サンスクリットで「真理に目覚めた人」、「悟った者」などの意味を持つブッダ…
私たちの中では「仏の悟り」を開いて、人々を導いた人物だという印象が強いのではないでしょうか。
さて、このブッダ…
なぜ、彼はこれだけ多くの信徒が集めることができたのでしょうか?…
今回はその点についてお話しましょう。
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ブッダに多くの信徒が集まったのはなぜか?
菩提樹の下で悟りを開いたブッダは、当初みずからが得た真理をだれにも伝えるつもりがなかったといわれています。
自分一人で真理を胸に秘めたまま、人里離れた場所で、世捨て人としてくらそうと考えたのです。
しかし伝説によれば、バラモン教の代表的な三神の一つブラフマーがブッダの前に現われ、「あなたの導きで、救われる者が大勢いる。ぜひ説法をして欲しい。」と懇願したのです。
これを聞き入れたブッダは、真理を伝える決意を固めたとされています。
ブッダはまず、かつての苦行仲間を相手に説法をします。
彼らは、ブッダを苦しい修行から逃げだした卑怯者と考えていたため、はじめはその教えを聞こうとはしませんでした。
しかし、次第に教えの真理を悟り、弟子となることを決めるのです。
これを皮切りに、以後ブッダは生涯をかけてインド全域をめぐり、人力に教えを説きます。
弟子となった者の中には、王侯貴族や裕福な商人もいましたが、貧しい者もたくさんいました。
ブッダは貴賤(きせん)を気にせず、相手がどんなに貧しくても熱心に真理を説いたのです。
このブッダの公平な姿勢は、厳格な身分制度をとり入れていたバラモン教の反発を受けましたが、ブッダはさまざまな妨害にも負けず、精力的に説法を続けていくことになります。
彼の旅は、悟りを開いてから実に15年もの長期にわたったといわれています。
そんな布教の旅にも、やがて終りが訪れます。
80歳になったとき、体調不良をおして布教を続けていたブッダは、クシナガラという土地で高熱と下痢により、とうとう倒れてしまうのです。
沙羅の樹の下に寝かされたブッダは、多くの弟子たちに見守られながら、ついに入滅(寿命を終える)します。
その最後の言葉は、「わたしを神格化することなく、みずからを拠り所とし、わたしの教えた法(教義)だけを頼りにしろ」というものであったと言い伝えられています。
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