人間誰しもが名前を持っています。
どんな人でも名前を持っていない人はいません。
少しのずれはあっても、誕生すると2週間以内に名を与えられ、結婚で姓が変わることはあっても、死ぬまでその名前で自己の存在を表示します。
反対に、名前がなければ、それはもう存在のない人となります。
誰しも名前があることなんて、当たり前のことで、あまり深く考えた事がない…という人も多いかもしれません。
しかし、名前とは一体何なのか?
当たり前のように存在しているが、そもそも名前に価値はあるのか?
今回は、名前とは一体何なのか…について改めて考えてみたいと思います。
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名前には魂が宿る…その考えとは?!
名前には魂が宿っている…という話を耳にした事がある人もいるかもしれません。
そこで反対に、「名前がないと、”魂”というものが授からないのかもしれない。それで、人間性や社会性も育たない…」と、そんなふうに考える事ができます。
それは教科書に載っている「狼少女」の例を思い出すからです。
「この話は一部に誤りが?」
と言われることもありますが、教訓の多い話であるのは確かなので、ご紹介します。
1920年、インドのジャングルで、狼に育てられた2人の少女が見つかりました。
発見者のシング牧師は、2人を引き取って育てました。
彼女たちは、4本足で歩き、生肉を食べ、暗闇では眼を光らせて遠吠えするなど、野生の狼に限りなく近かったそうです。
その後、下の子は1年くらいで死亡、カマラと名づけられた上の子だけが9年ほど生きまたが、結局17歳で亡くなるまで、彼女が人間らしい心を取りもどすことはありませんでした。
言葉をおぼえず、情緒らしきものを表現することもできなかったのです。
この例から、学者たちは、環境の重要性を訴えました。
人間の遺伝子を持っていても、狼に育てられるといった異常な環境下にあっては、人間的な要素はまったく育たない。
つまりは「氏(うじ)より育ち」「遺伝子よりも環境」だというのです。
この問題をめぐって多くの論争が行なわれたようですが、しかし、学者たちが見過ごした点が一つだけあります。
それは”名前”です。
ジャングルで発見されたとき、2人の少女は実に名前というものを持っていなかったのです。
この世に誕生しても名を持たず、一度として名前で呼ばれなかった彼女たちに、人間的な性質が芽生えなかったとしても当然のように思います。
なぜなら、名前は魂に深く結びついているからです。
名前がないということは、魂がないということに等しく、自己を表現することができなかったとしても、少しも不思議はありません。
では狼少女たちと比較しながら、ヘレン・ケラーを例にあげてみましょう。
彼女は皆さんがご存知のように、三重苦の障害を乗りこえることで、世界中の恵まれない人に大きな希望をもたらした素晴らしい人です。
ヘレンは1歳7ヵ月のときに熱病にかかり、突然、目と耳が使えなくなり、口もきけない状態となりました。
この点では、狼少女たちに劣らず、苛酷な環境下にあったといえます。
しかし彼女は、狼少女たちにはないものを一つだけ持っていました。
それは、ヘレン・ケラーという名前です。
名前があったということは、彼女の心の中に、人間を人間足らしめる魂があったということになります。
後にサリバン女史によって彼女の心が開いたのも、この魂が心の中に宿っていたからにほかなりません。
このことからも、名前というものが人間存在、魂に深く結びついていることがお分かりいただけるのではないでしょうか。
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私は、今年の夏、たくさんの経験をして、内面も外見もすっかり別人のように変わってしまいました。
何より、周りの人たちとの関係が、とても上手くいくようになりました。
相手が私に好意を持ってくれているのがよく分かります。
それで、この記事を読んで気が付いたんですけど、私、無意識に、会話の中で、相手の名前を連発するようになっていました。