真言宗について、知ってはいるけど詳しくはわからないという方も多いのではないでしょうか。
この機会に真言宗の歴史や宗派について、勉強してみませんか?
真言宗とは?…真言宗の歴史や宗派ができるまで
真言宗(しんごんしゅう)とは、弘法大師・空海によって、9世紀(平安時代)初頭に開かれた開宗された密教教団です。
「密教(秘密仏教の略)」とは、仏教を「顕教」と「密教」とに二分した捉え方による呼称です。
この両者は、空海の判定(教相判釈) によると、「顕教」は、仏が衆生を救済するため、衆生の可能性や能力を勘案してこの世に姿を現わされ(化身)て説かれた教えゆえに浅く、「密教」は、法身(仏の悟りの世界をそのまま化身とする根本仏)の境界における仏の説法ゆえに深い、と定義されています。
空海は宝亀五(774)年、讃岐国(現・香川県)で生まれました。
十八歳の時に上京して儒教・道教・仏教の三学を学びましたが勉学に飽き足らず、山野を遍歴しながら修行し、十四歳の時、儒、道 仏の三教を比較して論じた「三教指帰」を著わしました。
延竺十三(804)年、遣唐使に随行して入唐し、翌年、長安(西安)の青竜寺で恵果の弟子となり、密教の奥義を伝授されました。
この時、天台宗の開祖・最澄も別の船で入唐しています。
同年十二月、師・恵果が没し、帰国して密教を広めるようにとの師の遺言によって、翌大同元(806)年帰国しました。
帰国後は和気氏の高雄山に住んで真言密教を広め、弘仁三(812)年には最澄以下、僧俗百四十五名に灌頂(密教の儀式)を授けています。
この間、嵯峨天皇の信任を得て東大寺別当(寺務を統轄する寺の僧官職)などを歴任し、弘仁七(816)年、現本山、金剛峯寺のある高野山の地を賜ってその開創に着手しました。
また弘仁十四(823)年、京都の鎮護のために建立された寺の一つ東寺(教王護国寺)を賜り、真言密教の根本道場としています。
天台宗を「台密(天台密教)」と称するのに対し、真言宗を「東密(東寺密教)」のと称するのはそのためです。
空海は 仏教の事績のみならず、社会事業としては四国の万濃池の修復、文化面では教育機関「綜芸種智院」の開設、書では日本三筆と謳われるなど多才な活動を展開し、承和二(835)年、高野山にて入定(高僧の死去。空海の場合、死後も山に留まる意を込めて用いる)しました。
真言宗の教義の中心は、空海の著書「十住心論」に示された六大縁起(この世界は、すべて六種の要素<地 水·火·風·空・識>の組み合わせによって成立しており、それらを融合している宇宙そのものが大日如来であると説く)と即身成仏(三密瑜伽という真言密教の修法によって心を集中させ、仏の助力を授かって仏と同化する境地)の教えです。
本尊は法身、大日如来、金剛界と胎蔵界の曼荼羅(諸尊を描いたもの)を大日如来の世界を表現したものとして用いています。
主な経典は「大日三部経」です。
空海の入定後、修法の系統の分派によって小野流と広沢流に分かれ、中興の祖、覚鑁が独立して立てた新義真言宗が二分して豊山派(本山·長谷寺)と智山派(本山·智積院)が誕生しています。
また主な分派は十六派あり、寺院数は約1万ヵ寺、信者数は約一千万人とされています。
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