カトリックでは、名前の前に「聖(セント)」の字をつけて呼ばれる人々が、非常に多く存在します。
たとえば、2月14日のバレンタイン・デーの由来となった聖ヴァレンティヌス…
あるいは、クリスマス・シーズンに活躍するサンタクロースの、モデルとなった聖ニコラウス…
さらには、米国の大都市サンフランシスコの語源となった、アッシジの聖フランチェスコなどです。
「聖」とは「聖者・聖人」の略で、英語の「セイント」を訳したもの…
つまり「聖〇〇」と称される人物の多くは、聖人とみなされている人物なのです(ただし聖ミカエルのように天使に聖の字が冠せられる場合もあります)。
日本ではよく、徳の高い僧侶や、無私の心で慈善に尽くした人が聖者と呼ばれますが、カトリックにおける聖人は、これとはちょっと位置づけが違うのです。
ローマ教皇庁から正式に認定されることが必要だからです。
カトリックの聖人とは単なる尊称ではなく、れっきとした称号なのです。
教皇庁が聖人として認定することを「列聖(れっせい・Canonizatio)」と呼びます。
「列聖」がなされるまでには、何年もかけた慎重な調査が行なわれるのですが、現在の教皇庁には、その調査を専門に担当する「列聖省」なる部署も存在します。
この列聖省には、世界中のカトリック教徒から、膨大な量の申請書が届くそうです。
多くの場合、すでに亡くなった人物の周囲の人々が、その人物を讃えて欲しいと推薦するのです。
それは、故人が一定の人々から遺徳を慕われていることの証であるのですが、どんなに評判がよく、また事実、敬虔な生き方を貫いた人物であっても、列聖省はそうやすやすとは、列聖を認めません。
彼らがそれを認めるのは、基本的に「その人が奇跡をなしたこと」が、疑問の余地なく確かだと、確認された場合のみ…
例外は、信仰を守るために死んだ、つまり殉教を遂げた場合だけです。
冒頭で例に挙げたヴァレンティヌス、ニコラウス、フランチェスコは、それぞれ3世紀、4世紀、13世紀の人物です。
さすがに、そんな古い時代のことは、今さら調査のしようもないでしょうが、しかし彼らにも、それぞれ奇跡をなしたという言い伝えはあるのです。
ヴァレンティヌスは、祈りによって盲目の少女の視力を回復させたといわれています。
ニコラウスは、親に虐待されて無残な死をとげた子どもたちを、よみがえらせたといいます。
そしてアッシジのフランチェスコは、怪我をしたわけでもないのに、十字架にかけられたイエスと同じ箇所に、傷跡が浮かびあがるという「聖痕(スティグマ)」を発現させたそうです。
彼ら古の聖人たちと肩を並べるためには、これらと同等の超自然現象を起こしたという、証拠が必要なのです。
もちろん現代人は昔より疑り深いでしょうし、過去には不思議とされていたことが、現在では医学的、科学的に解明されてしまうことも多いかと思います。
したがって、近現代の人物が聖人に列せられるのは、かつてに比べてずっと難しいといえるでしょう。
ちなみに、日本でもおなじみのフランシスコ・ザビエルも聖人です。
近代以降の例では、聖母マリアに会ってルルドの泉のありかを教えられたという少女、ベルナデッタが有名です。
彼女がマリアに会ったのは、1858年のこと…
その後、彼女は修道女として生き、1879年に、30代の若さで病死しました。
列聖されたのは、死後半世紀あまりを経た、1933年です。
死後30年の時点で遺体が掘り起こされたとき、少しも腐敗がみられず生前と同じ姿をたもっていたことが、審査に通る決め手となったといいます。
なお、東方正教会でも聖人を讃える習慣がありますが、カトリックほど厳格な条件はなく、信者として模範的な生き方をし、聖人の名に値すると判断されれば列聖されることがあるといいます。
このことからもわかるとおり、カトリックと東方正教会で聖人とみなされる人々の顔ぶれは、必ずしも共通ではないのです。
また、プロテスタントの多くの宗派は、聖人崇拝を否定しています。
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