少しご自分の生活や過去を振り返ってみてください。
あなたにもきっと思い当たることがあるはずです。
非常に多くの人が、「今日の幸せ」を楽しむことを拒否し、「明日起こるかもしれないことを心配することで人生を台無しにしています。
このことを、ある作家は次のようにいっています。
「晴れ晴れとしている今日のことよりも、何日かあとの雨の日のことを考えている人は哀れなものだ。」と。
わたしたちは、この世に膨大な時間をたずさえて生まれてきました。
そして人生とは、その一瞬一瞬で成り立っているのです。
にもかかわらず、わたしたちはそのうちのいくらかを愚かなことに費やし、無駄にし、浪費しています。
けれども、この一瞬一瞬を授かりものとして使うことができるはずです。
つまり、自分の成長と自覚のために与えられた「宝物」として考えるということです。
実際、この一瞬一瞬は、神様から与えられているものなのです。
それをどう使うかは、わたしたち次第…
この瞬間こそが、人生に新しい創造の可能性をもたらしてくれるのです。
この一瞬は蓄えたり、まさかのときのためにとっておくことはできません。
時間というものは、蓄えようとしても、あっというまに消えてしまうものなのですから…
そのうえ幸福感を味わえるのは、今のこの瞬間だけなのです。
それなのに、いずれは消えてなくなるのではないかと恐れるあまり、自分で自分の幸福を奪ってしまうことがしばしばあります。
たとえ消え去ったとしても、その幸福を味わった瞬間は、時間を無駄にしたことにはならないのに…
感情は、いずれは消えてなくなってしまうものです。
幸福感も、いずれは消えていってしまうもの…
情とはそのようなものにすぎません。
ただ訪れては消えていく…
だからといってある種の感情がわいてきたときにそれを感じようとしなければ、必ずなんらかの問題が生じてきます。
言ってみれば、感情とは私たちに必要な情報を与えてくれる道しるべのようなもの…
私たちが自分の感情に傾ければ、色々なことを知ることができることしょう。
しかし、それは今のこの一緒のことであって、明日のことではないのです。
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