「コロポックル」は、アイヌ(北海道・樺太・千島列島およびロシア・カムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族)の伝承に登場する小人…
アイヌ語で、一般的には「蕗の葉の下の人」という意味だと言われています。
北海道ではなじみ深いこの「コロポックル」ですが、実は埼玉にもいたのではないか?とも言われているのです。
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北海道のコロポックルは埼玉にもいた?!
コロポックルといえば、北海道にいたとされる妖怪、いや先住民族だという説もあります。
アイヌ語で「フキの下に住む人」を意味していて、その言葉どおり非常に小さい者たちだったといいます。
コロポックルについてはじめて記録したのは、日本人やアイヌではなく、イギリス人の船乗りでした。
慶長18年(1613年)に日本にやってきたイギリス人は、航海日誌に「蝦夷地(えぞち)の北方に非常に小さい小人が住んでいる」と記したのです。
コロポックルはとても恥ずかしがり屋で、めったに人前に姿を現すことはありませんでしたが、アイヌの人たちとは交易をしていたといいます。
アイヌの男たちがコロポックルの女をさらったため、それまで交流していたコロポックルが一人残らずいなくなってしまったというような言い伝えが北海道各地に残っています。
十勝地方にも同様の話があり、十勝という地名は、コロポックルが逃げ出していくときに吐き捨てた「トカプチ(水は枯れろ、魚は腐れ)」という呪いの言葉に由来するという説もあります。
北海道限定と思われていたコロポックルですが、埼玉県吉見百穴遺跡(よしみひゃっけついせき)には、コロポックル伝説が残っています。
吉見百穴は古墳時代の横穴墓群の遺跡で、岩肌に百にものぼる洞穴が掘られています。
この洞穴がコロボックルの住居跡だというのです。
コロポックルは、トイチセウンクル(土の家の人)やトイセコッチャカムイ(土の家のかたわらの神)という別名も持っています。
とすると、吉見百穴の伝説もあながちデタラメと決めつけることはできないかもしれません。
その昔、アイヌは東日本にも住んでいましたが、大和朝廷に北に北に追いやられたといわれています。
もしかすると、コロポックルも同じように、後から来た民族に追いやられてしまったのかもしれません。
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