十分に恵まれている環境で生活をしていても、欲求不満って、底をつきませんよね・・・。
欲しいものが手に入ったら、今度は別のものが欲しくなる。次から次へととめどなく。
このままだといつまでたっても欲求は満たされることはありません。
ではこれはどういった感情なのでしょうか。
欲求不満の感情には、いい面も悪い面も存在します。
それはどういったことなのでしょうか。
今回は、欲求不満の心理学における意味を見ていきたいと思います。
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欲求不満の心理学における意味…
豊かな国に生まれて衣食住足りている私たちですが、「もっといい暮らしがしたい」「もっと幸せになりたい」と、欲求はとどまるところを知りません。
戦火で荒れ果てた国の、食べ物や安全の保障さえないような人々のほうが、ともすると満ち足りた笑顔に見えるのはどうしてでしょうか。
アメリカの心理学者マズローによれば、こうした欲求不満が起こるのはきわめて自然な心理なのです。
マズローは、人の欲求には4段階の基本的欲求とその上の成長欲求があり、一つの欲求が満たされると次の段階の欲求が生まれると主張しました。
まず最初に食べる、眠る、排泄するなどの、生理的欲求が生まれます。
次に生まれるのが身の安全や安定を確保する安全欲求。
それらが満たされると、次に仲間や集団に身を置き、受け入れてもらいたいとする所属欲求、愛情欲求が出てきます。
そして続いて他人から認められたい、尊敬されたいという承認欲求、自尊欲求が現れます。
つまり、一つひとつの欲求の段階が満たされることで、次段階の欲求が生まれます。
そしてそれを満たそうとすることで人は成長・成熟していきます。
だから衣食住が満ち足りた人が「もっといい暮らしをしたい」「人から認められたい」と仕事を頑張ったり、「素敵な恋人が欲しい」「理想の家庭を築きたい」とお相手探しに熱中するのは自然な姿なのです。
さて欲求の最後の段階は自己実現欲求というものです。
自分の能力や可能性を高めたいと思う成長欲求で、これは非常に高レベルの欲求です。
この欲求を満たしたいと考え、行動し始めたとき、人はよりよい人生を切り開くことができるのです。
欲求不満は人の成長のために、とても重要な役割を担っているとお話ししましたが、なかには例外もあります。
オーストリアの精神医学者フランクルの主張によると、人を打ちのめし無気力にしてしまう欲求不満もあります。
これは実存的欲求不満というものです。
私たちは、自分の人生の意味や目的を見いだそうとする健全な意志を持っているものですが、この実存的欲求不満の状態に陥ってしまった人は、そうしたエネルギーをなくしてしまいます。
たとえば、何度やっても成功しなかったり、どんなに努力しても無駄だということが続くと、「今は大変だけれど、これを頑張って乗り切ったらよくなる。夢や目標がかなう。」というような希望的観測を持つことができなくなり、人生になんの目的も見いだせなくなってしまうのです。
すると、毎日をなんとなくその場しのぎに送ってみたり、自分の意志や自由を大切にしないような生き方をするようになります。
「どうせなにをやってもダメなんだ」というような無力感に支配されてしまうのです。
たとえば、コンプレックスやトラウマなどの神経症の原因にも、この実存的欲求不満が隠されていることが少なくないと、フランクルは指摘しています。
人間が精神生活を送る上で、自分の人生に意味を感じられることは、とても大切なことなのです。
フランクルは、第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ捕虜収容所を経験したことがあります。
その過酷な体験を通して、その理論に行き着いたのだと言えるでしょう。
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