ついつい「現実逃避したい」と考えてしまう…
そんなことはありませんか?
仕事や人間関係、お金や恋愛の悩みなど、私たちの生活は逃げ出したくなることばかりかもしれません。
何もかもから解放されて自由になりたい、と思う時はないでしょうか?
しかし本当は現実から逃げることなどできないのです。
ここではつい「現実逃避したい」と考えてしまう人に向けて、少しお話をしておきたいと思います。
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つい「現実逃避したい」と考えてしまう人は…
ある時、中国の禅僧・趙州(じょうしゅう)が南泉(なんせん)という師匠に「如何なるかこれ道」と問いたときに、南泉は「平常心これ道なり」と答えたと言います。
名前:趙州 従諗(じょうしゅう じゅうしん)
生年月日:778年~897年
出身地:曹州臨淄県郝郷(中国山東省)
宗派:禅宗
著作:趙州真際禅師語録
名前:南泉 普願(なんせん ふがん)
生年月日:748年~835年
出身地:鄭州新鄭(中国河南省新鄭市)
宗派:禅宗
これは、ふだんの生活の中に仙道があり、それはふだんの生活そのものにほかならないことを意味しているのです。
かつて、京都の相国寺に越溪(えっけい)禅師(越渓秀格)という高僧がいました。
ある時、当時の外務大臣・陸奥宗光(むつむねみつ)氏の父にあたる伊達自得(じとく)翁が面会を求めたことがあります。
そのとき伊達氏はこんなことを言ったのです。
「ご承知かと思いますが、私は儒学を修めたもので道の何ものかくらいは一通り心得ておりますが、禅の道はよくわからないので、今日は教えを乞いにおじゃましました。」というと、越溪禅師はやにわに平手で伊達氏の横面をぴしゃりとたたいたと言います。
伊達氏は驚いて思わず部屋の外に飛び出しましたが、禅師はもとの座に坐ってすまし顔…
伊達氏は無念のあまり、たずさえていた刀のツバに手をかけ、今にも斬って入ろうとする剣幕だったそうです。
これを見た一人の雲水(諸国を修行して歩く僧、行脚僧)が「何ごとですか」と訊ねると、わなわなと震えながら「この和尚の無礼は武士の面目として容赦せぬ。斬って捨てるのだ。」とのこと。
これを聞いた雲水は「私共にはよくわかりませぬが、あとで事の次第はわかるでしょうから、まず気を落ち着けこちらで御茶でもどうぞ。」と茶の間の方へ案内しました。
そうして番茶を差し出し、たまたま伊達氏が飲もうと口をつけたとたんに、この雲水が何を思ったか茶碗を持つ翁の腕をぽんと打ちました。
茶はこぼれて畳の上は茶の海となりました。
この時、雲水は「先ほどちょっとうかがえば、あなたは道の何ものかは一通り心得えておられるとのことですが、それは何か?」と訊ねました。
伊達氏はとっさに四書五経のいずれかの句を言おうとあせったのですが、出てきません…
雲水は「いかなるかこれ道、速やかに言え言え。」と切り込みますが、さらに道が出て来ません。
その時、雲水は「はなはだ失礼ですが、私共の道をお目にかけましょうか?」と言うのです。
伊達氏は悔しくても自分の道が答えられないので、やむなくうなずくと、雲水は手近にあった雑巾を取ってこぼれた番茶をふきとり「これが私共の道です。」と答えました。
伊達氏はこれを見て思わず「なるほど」とうなずき、「かつて道は近きにありと聞いていたが、これを遠きに求めていた。」と大いに悟り、改めて越溪禅師の部屋に入って教えを受け、その弟子になったと言います。
仏教をかつては仏道といっているように、知識として知ることではなく、仏の歩んできた道を追体験し、それをわれわれの日常生活の中で実践するものです。
自分が今、ここでどうしてもなさねばならないことを身心をフルに働かせて行じ、悔いのない人生を送ることなのです。
そうすればいつのまにやら、われわれ自身が仏の道そのものを歩んでいることになるというのです。
ふだんの仕事の面でも、「歳月人を待たず」で、今ここで自分のやるべきことをやらないで、いつかあとでやろうと考えていると、いつになってもやれないことになってしまいます。
だいたい「仕事をあとでやろう」と考えていること自体、あまり気乗りしていない証拠です。
一旦、引き受けた以上はすぐに確実にそれを成し遂げ、できないことは始めから引き受けないくらいの覚悟が必要でしょう。
そうした現在に最善をつくすことの積み重ねが実績となって残されていくのであり、それをただ待ち望んでいても、絵にかいた餅のように、いつになってもそれは自分のものになるはずがないです。
現実逃避したい…と感じたときには、そのことを思い出してみましょう。
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