あなたは晴れの日が好きですか?…
雨の日は嫌いですか?…
禅の言葉である「雨奇晴好(うきせいこう)」は、そういった心模様について語っています。
「奇」は、ふつうと変わっている…
珍しくて面白いといった意味です。
「好」には美しいという意味もあります。
蘇東坡の詩の一節に、晴れても雨が降ってもどちらも景色は趣がある…
と廬山(中国江西省九江市南部にある名山)の風景を見て詠んだものもあります。
蘇東坡(そとうば)…中国北宋時代の政治家で詩人。
本名は蘇軾だが、号の東坡居士から蘇東坡と呼ばれることが多い。
さて、ここでは禅の言葉「雨奇晴好(うきせいこう)」の意味や使い方に関しても、よく学んでおきましょう。
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禅の言葉「雨奇晴好(うきせいこう)」の使い方知っておく
「雨奇晴好(うきせいこう)」とは「雨もまたよし、晴れればまたよし」…
そんな何ものにもとらわれない心境をあらわす言葉です。
「気が滅入りがちな雨の日も、あるがままに景色を見ればいつもと違って面白い、これにちゃんと気づいて雨も楽しもうよ」というプラス思考的な解釈もできます。
雨だからと、人前で憂鬱そうな顔を見せたり、約束の時間に遅れたり、ということはありませんか?
自分の気が晴れず、行動も鈍くなっているのを「雨のせい」に責任転嫁していたらお天道様に叱られます。
ジメついた顔より晴れ晴れした顔でいましょう。
「雨奇晴好(うきせいこう)」の使い方はこのような気持ちの下で使うのです。
使い方の例としては、
「京都は晴好雨奇いずれもすばらしい」
「ここは晴好雨奇いずれもすばらしい観光地として全国に知られています」
などと使ったりします。
花や緑が色鮮やかになり、カタツムリやアマガエルが顔を出したりもする雨の日を楽しむ気持ち、これってけっこう大事ですよね。
ジャズのスタンダード曲に「降っても晴れても(Come rain or come shine)」という歌があります。
雨が降っても、晴れた日も、ほかのだれもが愛せなかったほど強く君を愛してみせる…
という内容のラブソングですが、お金があったり、なかったり、曇りの日や晴れの日やいろいろあるけれど、僕はキミといつも一緒、幸せも不幸も一緒、という「雨奇晴好(うきせいこう)」的な歌詞もあります。
「雨奇晴好(うきせいこう)」とても素敵な言葉ですね。
この言葉のように日々を過ごしたら、とても素敵な人生を送れそうですね!
この素晴らしい禅の言葉、ぜひ日常でも使ってみてくださいね。
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