親子、友人、職場などの人間関係において、良好な関係を保つためには、コミュニケーションがとても大切になってきます。
そしてコミュニケーションをうまくとるためには、言葉選びがとても重要となってくるのではないでしょうか。
そこで良い言葉選びとは、どういうことなのか?
言葉を選ぶ時に何に気をつければ良いのか。
相手との良好な関係を気づくための「言葉」について少し紹介したいと思います。
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良い関係を保つための他者への言葉の選び方とは?!
さて、コミュニケーションの基本となる「言葉」について少し述べておきましょう。
誰かに言葉をかけるとき、それは「愛語(あいご)」でなければなりません。
愛語とは、仏教の世界の言葉ですが、端的にいえば、「聞いた人が喜びを感じる、相手が聞きたいと思う言葉」のことです。
さらにいえば、聞いていて耳障りではなく、波長がとてもよい言葉です。
相手のことを考えず、自分のいいたいこと、自分の感情、都合で言葉を選んでいるうちは愛語になりません。
相手に言葉をかけるとき、愛語であるかどうかを意識することが大切です。
相手に言葉をかける。
これはコミュニケーションの基本。
その際、本気で相手のことを思い、心配し、相手が喜ぶような言葉を選ぶ。
そうやってコミュニケーションは成り立っていくのです。
相手を嫌な気分にさせてしまったら、そこでコミュニケーションは終わりです。
「言っていることが正しい、正しくない」とか「自分の言いたい内容かどうか」など、いろいろ言ってみたところで、コミュニケーションが成り立たなければ何の価値もありません。
だからこそ、努めて愛語を口にしなければいけないのです。
例えば、相手を叱るとき。
上司が部下を叱る場面はよくあるでしょう。
そんなとき、本当に相手のことを思い、心配して叱っているかが重要です。
相手も人間ですから、その思いがあるかどうかは敏感に察知します。
部下が失敗して、上司の自分が責任を取らされる。
そのことに怒り、感情を部下にぶつけてしまったら、何も相手には伝わりません。
コミュニケーションの崩壊です。
しかし、その上司が本当に部下のことを心配し、その人の将来を思って叱るのだとしたら、発せられる言葉もまた変わってくるはずです。
その場合は、自然に、愛語になってしまうのです。
親子だって、友人だって同じです。
愛語というのは「相手が喜ぶ言葉」。
その場では厳しい言葉であっても、本気で相手のことを思った言葉であれば、相手もいずれ気づいてくれるでしょう。
そして、その言葉に感謝し、喜んでくれるはずです。
相手のことを思い、本気で心配する心のことを、ブッダは「慈しみ」という言葉で教えています。
部下であろうと、上司であろうと、友人であろうと、動物であろうと、どんなものにも慈しみの心を持って接すれば、自然に言葉は愛語になります。
仏教でいう「慈しみの心」を本当に身につけるには、特別な訓練が必要です。
しかし、日常的に仕事をする上では「本気で相手のことを心配する」という意識を持っていれば十分でしょう。
本来、心というのはエゴィスティックなもので、すぐに自分本位で考えようとするものです。
その本能をまるっきり入れ替え、慈しみの心を育てるのも、仏教の修行の一つです。
そう簡単にできることではありませんが、そうした意識を持つことで、少しずつ心は変わっていくはずです。
心が変われば、当然言葉も変わってきます。
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