新約聖書の「マタイによる福音書」では、イエスが生まれたとき、東方から3人の賢者(マギ)がエルサレムを訪れたと記されています。
3人の博士とされる場合もありますが、彼らは、占い師や魔術師のようなものだったとされているのです。
この3人の賢者は、星の導きによって、ベツレヘムに「ユダヤ人の王」が新たに生まれたことを知り、その人物を拝みに来たといいます。
これを聞いて、当時のユダヤ族を治めていたヘロデ王は不安を感じました。
なにしろ、自分に成り代わる人物が生まれたことになるからです。
そこで王は、3人の賢者に「ベツレヘムに行って、その子どものことを調べて教えてくれ」と言いました。
賢者たちは星に導かれたとおりにイエスの生まれた家に行き、マリアと生後間もないイエスに会うと、3つの贈り物を捧げたといいます。
すなわち、黄金と乳香と没藁(もつやく)です。
乳香というのは乳に似た白色の樹液を固めて作った香料で、没薬とは、酒に混ぜて飲まれる苦い薬であったといわれています。
そのあと、彼らは、夢のお告げに従ってヘロデ王のもとには戻らずに自分の国へ帰っていきました。
怒ったヘロデ王は、残酷にもベツレヘム一帯の2歳以下の子どもをことごとく殺してしまったといいます。
しかし、イエスとその両親も、夢のお告げに従ってエジプトへ逃亡したあとでした。
聖書での3人の賢者についての記述はおおむね以上で、彼らが何者かくわしい説明はありません。
そこで後世には、さまざまな解釈が生まれているのです。
初期のキリスト教の伝承では、3人の賢者(マギ)は、ペルシアで信仰されていたゾロアスター教の神官だとする説もありました。
実際、マギ(magi)とは古代にはゾロアスター教の神官のことを指し、後代には魔術師を意味するマグスまたはメイガス(magus)という言葉の語源となったのです。
すると、イエスの誕生は、異邦の異教徒によって予言されたということになります。
しかしそれゆえ、イエスは単にユダヤ民族だけの救世主ではなく、異民族も含めた世界の広い民に認められるべき救世主だといえるわけです。
そんなわけで、本来は異教徒だったらしい3人の賢者だが、キリスト教がヨーロッパに広まると、彼らの神秘性への注目が高まっていきます。
3世紀には、どういうわけか、イタリアのミラノ郊外で3人の賢者の遺骨とされるものが発見されました。
313年に、ローマ帝国では皇帝コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認しています。
この皇帝の母ヘレナは熱心なキリスト教徒で、彼女が霊感に従って、土中から賢者たちの骨を見つけたのだといいます。
いささか荒唐無稽な発見の経緯だが、この遺骨とされるものは、のちに12世紀にはドイツのフリードリヒ赤髭王(バルバロッサ王)のもとに渡りました。
そして現在も、ケルンの大聖堂に丁重に収められているといいます。
また、聖書には3人の賢者の名は出てこないのですが、6世紀から10世紀にはガスパール、メルキオール、バルタザールという呼び名が定着しています。
15世紀には、この3人の賢者は3大陸からきたという解釈がとられるようになりました。
3大陸とは、当時の世界認識で、ヨーロッパ、アジア、アフリカのことです。
イエスの生まれたイスラエル地方はその中間点にあります。
なにやら、ヨーロッパの人間が、東方から来たはずの賢者を無理やり自分の地域に結びつけているように見えなくもありません。
しかしそれだけ、3人の賢者の存在は、キリスト教が世界的な普遍性をもつことの象徴なのです。
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