しばしば陰謀論の主役とて登場する世界的な秘密結社といえば「フリーメイソン」です。
フリーメイソンは、元々石工の互助会としてスタートしました。
1717年にロンドンで「グランド・ロッジ」と呼ばれる本部を開設し、上流階級を中心に急激に会員を増やしたのです。
会員は「親方・職人・徒弟」の三階級に分かれ、各ロッジの最高位はグランドマスターでした。
入会時に非公開の儀式が行なわれることから秘密結社と呼ばれるようになったのです。
フリーメイソンとキリスト教は、当初は対立するものではありませんでした。
メイソンには「至高の存在への尊崇と信仰」という入会条件があり、なんらかの宗教の信徒でなければならなかったのです。
そのためキリスト教徒も十分に入会資格は満たしており、ローマ・カトリック教会の中にも多くの会員を増やしていきました。
ただ、キリスト教以外の宗教にも寛容なフリーメイソンの姿勢は、カトリック教会にとっては許容しがたいものだったのです。
入会時の参入儀礼などの秘密性も異端視されました。
また、当時は理性を重視する啓蒙思想の広まりによって教会の権威が衰えはじめており、教会はメイソンの台頭に危機感を抱いていたのです。
そこで1738年、教皇クレメンス12世によりフリーメイソン会員への「破門」が言い渡され、カトリックとフリーメイソンの対立が本格化しました。
こうして正式に破門されたフリーメイソンでしたが、本拠地であるイギリスはプロテスタントが中心だったため、それほどの効果はあがらなかったのです。
クレメンス12世の後継者ベネディクト14世は、さらに厳しく「教会法」にもフリーメイソン禁止の条項を明記…
フリーメイソンは「悪魔の教会」とみなされ、その後200年の間に、17回の破門宣告、200回以上の警告が発せられました。
カトリック信者の多いスペインやフランスでは、フリーメイソンへの迫害が行なわれ、スペインの異端審問所は「メイソンに対しては裁判なしで死刑」との過激な布告を発し、メイソンによる数々の悪事を暴露するというネガティブキャンペーンが展開されていったのです。
特に激しい弾圧を行なった法王は1846年即位のピウス9世で、反フリーメイソンの教書を7回も出しています。
それでも、フリーメイソン弾圧が17世紀の魔女狩りほどに拡大しなかったのは、教会の権威が衰えたことと、バチカン内部にも入りこんでいたメイソン会員の影響があったからだといえます。
1978年、バチカン内部のメイソン会員を一掃しようとしたヨハネ・パウロ1世が即位34日で病死…
不可解な死は暗殺説も出たが、メイソンが関与していたのかは不明です。
さらに1981年、ボローニャで起こった爆弾テロ事件を発端とした「P2事件」が発生し、イタリア政府とバチカンに衝撃を与えました。
事件はイタリアでのフリーメイソンの拠点ロッジ「P2(Propaganda2)」のグランドマスターだった金融業者リーチオ・ジェッリが家宅捜索を受け、P2メンバーのリストが押収されたことで発覚したのです。
このリストには4人の現役閣僚をはじめ、国会議員、軍人、実業家やマフィアなどが含まれており、当時のイタリア首相シルヴィオ・ベルルスコーニの名前もありました。
さらにバチカン銀行とイタリアのアンブロシアーノ銀行による、バチカンの資金の不正運用とマネーロンダリングの実態が明らかになり、イタリア内閣は総辞職に追い込まれたのです。
この事件によって教会とメイソンの和解交渉は完全に決裂…
1983年に破門は解除されたものの、両者の対決は今も続いています。
一方で、現在もカトリック教会内には、フリーメイソン会員が多数潜んでいるといわれているのです。
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