禅語に「冷暖自知(れいだんじち)」という言葉があります。
道元禅師が執筆した仏教思想書を指す「正法眼蔵」弁道話に、「証(しょう)の得否(とくひ)は、修(しゅう)せんものおのづからしらんこと、用水(ようすい)の人の、冷暖をみづからわきまふるがごとし」とあります。
また「伝燈録」にも同様の記述がみられます。
それでは、禅語「冷暖自知(れいだんじち)」という言葉の意味について詳しくみていきましょう。
名前:道元(どうげん)
生年月日:正治2年1月2日(1200年1月19日)~建長5年8月28日(1253年9月22日)
職業:鎌倉時代初期の禅僧、曹洞宗の開祖
諡号:仏性伝燈国師、承陽大師
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禅語「冷暖自知」とはどのような意味か?
浅草に慶応2年(1866年)創業の寿司の名店があります。
そこの5代目主人は、先代から一度も寿司の握り方を教わらなかったそうです。
その先代もまた、握り方も仕込みの方法もすべて親方の仕事を見ながら、自分でやってみて体で覚えたそうです。
それが店の代々の流儀なのでしょう。
将棋の棋士の世界にも同じようなことが言えます。
何も教えてくれない師匠のおかげで強くなれたという棋士もいるのもそのためです。
師匠が「一局教えてやろう」というときは、「見込みがないから破門する」という意味であったりするそうです。
「冷暖自知(冷暖自ら知る)」ことは、水が冷たいか暖かいか、そんなことは人から、ああだこうだと説明を聞くより、自分でさわってみればすぐわかることだ…
という意味です。
これは仏法や禅の真髄(しんずい)というのは、師に教わったり頭で学ぶものではなく、みずからの体験を会得し、悟る以外にはないということです。
子供の教育でも同じでしょう。
あれこれ知識ばかり与えても、自分で体験させてみなければ本当の知識は身につきません。
クロールの方法をいくらことばで教えても、泳げるようには絶対ならないのと同じなのです。
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