コンスタンティノープル教会の司祭、コンスタンティノープ総主教を最高指導者とあおぐ教会の集合体が、東方正教会(正教会)であるラテン語を公用語とするカトリックに対し、かつてギリシア語を公用語としたことから、ギリシア正教とも呼ばれます。
カトリックと決裂した遠因は、8世紀に正教会側で起こった「偶像破壊(イコノクラスム)」にあります。
これは、偶像崇拝の禁止という戒律に厳格に忠実…
過激な原点回帰運動でだったのです。
それをローマ教皇が激しく非難したことから、東西両教会の関係は、極度に悪化したのです。
のちに運動は沈静化し、正教会でも聖像(イコン)崇拝が復活したが、対立は修復されず、879年にはローマ教皇が正教会の人事に介入…
このことが決裂の直接の原因となったのです。
その時点で、正教会の勢力はカトリックと互角だったが、正教会を国教とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が、1453年に滅亡すると、その勢力圏はイスラム教に侵食されました。
そこで正教会は拠点をモスクワへ移し、ロシアに活路を見出したのです。
しかし…1917年、ロシア革命で共産主義国家ソ連が誕生します。
正教会はまたも受難の時代を迎えました。
共産主義は元来、宗教に否定的なので、ソ連は正教会を弾圧したのです。
しかし、ソ連崩壊後の復興はめざましく、ロシア首相プーチンも正教会の熱心な信徒なのです。
この記事へのコメントはありません。