神と神の子、そして聖霊の「三位一体」が教義の軸であるキリスト教ですが、民間では古くからマリア信仰が行なわれてきました。
純潔な乙女、思いやりのある母親、罪人たちの頑なな態度に怒る息子イエスをわれわれ人間のためにとりなしてくれる仲介者などなど…
マリアは様々な姿で崇められてきたのです。
19世紀の中ごろは、マリア信仰が盛んな時代で、民衆はイエス同様にマリアも無原罪の存在とすることを強く望みました。
カトリックではイエスは受胎の瞬間から、原罪の汚れとは無縁の存在=無原罪の状態でマリアに宿ったとしています。
だからこそ、マリアも無原罪の状態でイエスを宿し、処女を守ったままイエスを出産したと信じられたのです。
これに加え、度重なる聖母出現とそれにまつわる奇跡現象が頻発したことによって、マリア信仰はさらに民衆の心を集めるようになるのでした。
啓蒙思想の広がりや科学の進歩などにより、弱体化が危惧されていた教会はこれを受け、1854年に「聖母無原罪の御宿り」の大勅令を発し、マリア信仰を公認…
マリアは文字通り聖母となり、神イエスと並ぶキリスト教の女神の資格を公式に得たのです。
マリア信仰が盛り上がる要因となった聖母出現の中でも、特に民衆の心を集めた事例の一つが「ルルドの泉の奇跡」でしょう。
フランス南部の小さな町ルルドに泉が現われたのは、1858年2月25日…
この町に住む14歳の貧しい少女ベルナデッタ・スピールは、この2週間前の2月11日、薪拾いをするために訪れた町はずれにあるマッサビエルの洞窟で、のちに聖母マリアと認定される幻影と出会ったのです。
以降、聖母の出現は続き、8度目となるこの日、噂を聞きつけてやって来た見物人が見守る中、ベルナデッタは突然洞窟の中を動き回ると、手で地面を引っ掻きはじめます。
すると、そこから泥水が湧き出し、次第に清水となり飲めるようになったのです。
これが「ルルドの泉」のはじまりでした。
見物人の何人かが、湧き出した水を持ち帰って飲んだところ、眼病が一夜で回復するなどの驚くべき変化が起こったといいます。
この噂は瞬く間に広がり、はじめは懐疑的だった町の人々も続々と泉へやって来るようになったのです。
マッサビエルの洞窟で、18回にも渡り聖母と対峙したベルナデッタでしたが、当初は聖母とは認識しておらず、「女性の形をした白いもの」や「それ」などと表現していました。
それに対し、彼女から報告を受けていたルルドの司祭は「それ」に名前を尋ねてくるように指示を与えます。
聖母マリアの受胎告知の祝日にあたる3月25日、「それ」は自分を「無原罪の御宿り」(Je suis la Immaculée Conception)であると告げました。
「無原罪の御宿り」という言葉は、読み書きも満足にできない貧しい少女が知り得るはずもなく、このことが決め手となって1862年1月18日、教会の調査委員会は、ルルドに聖母が出現したこと=奇跡が起きたことを認めたのでした。
ルルドの泉は枯れることなく湧き続け、現在まで1億人超がこの泉を訪れたとされています。
一説にはプラシーボ効果以上の効用はないともされますが、中には重篤な難病から快復し、教会から奇跡認定された例も存在します。
今なお、お救いを求めてルルドを訪れる者は後を絶たず…
奇跡は継続中といえるのかもしれません。
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