正確には当せん金付証票法に基づき発行される富くじ…
「宝くじ(たからくじ)」を知らない人はいないでしょう。
正式名称は「当せん金付証票」と言うのですが、この「宝くじ」のの歴史や賞金はどのようなものだったのでしょうか?…
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宝くじの歴史や賞金はどのようなものだったのか?
一攫千金(いつかくせんきん)のチャンスがある宝くじ…
どこの売り場から当たりくじが出やすいか、どの方角の縁起がいいか、買った宝くじはどこに保管しておけば運気が上がるのか、高額当選のためのノウハウ本まで出版されるほど、人気を博していますが、宝くじの起源は意外に古いということをご存じでしょうか?
江戸時代に盛んに発売された「富籤(とみくじ)」がそのルーツです。
富籤は、富紮や富突きとも呼ばれ、主に寺社が儲けを普請(ふしん・修繕・建築や社会基盤整備)の費用にあてるために幕府や大名の許可を得て発行していました。
仕組みは、現代の宝くじとほぼ同じです。
番号を書いた紙の札が市中で売られます。
当選番号は、箱の中に入れられた木の札を上から大きなキリで突いて決められます(=富突き)。
木の札には数字が書かれていて出てきた数字を順に並べて当選番号とするのです。
紙の札の番号と、キリで突いた当選番号が同じなら大当たり…
富籤を発行した寺社に持っていけば、賞金を受け取ることができます。
また、富夢売り上げから賞金と興業費用を差し引いたものが胴元の収入となります。
富籤は江戸初期に上方(かみがた・京阪地方)ではじまったといわれていますが、起源ははっきりしません。
ただし、賭けの要素が強いとして、幕府によってしばしば禁令が出されています。
禁止・解除が何度も繰り返されるうちに、禁止できないほど人気が高まり江戸・大阪・京都などの都市で富籤興行が認められるようになりました。
地方の寺社も江戸に出て富籤興行を行うようになり、目黒不動尊や深川永代寺、浅草寺などの境内を借りて当選番号を決める富突きが行われていたようです。
当時の富籤の値段はといえば、初期には金一~二分(一両を現在のお金で20万円とすると5~10万円程度)、後期には一分の半分の二朱(2万5000円程度)のものも登場しました。
庶民には高額なので、数人で集まって共同で買う「割札(わりふだ)」が一般的でした。
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