「一神教」と「多神教」…
この言葉を聞いたことがある方も多いかと思います。
では「一神教」と「多神教」の違いは何なのでしょうか。
「一神教」と「多神教」という言葉は、世界にある宗教を分類する際の一つの基準になるのです。
つまり「その宗教は一人の神を信仰しているのか?」、それとも「多くの神を信仰しているのか?」…
ということです。
今回は知っているようで知らない…
そんな「一神教」と「多神教」の違いについて探ってみましょう。
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一神教と多神教の違いとは何なのか?
宗教における「崇拝の対象」という観点から世界の諸宗教を見ていくと、大きく二つの傾向に分けられます。
崇拝の対象(仏教における本尊に相当するもの)を唯一の神とする「一神教」…
そして複数の神仏を有する「多神教」です。
一神教には、聖書(旧約・新約)を源泉とするユダヤ教・キリスト教・イスラーム教などがあり、仏教・ヒンドゥー教・神道などは多神教に分類されます。
日本では、多神教の宗教形態が一般的な宗教の在り方として受け入れられているため、一神教の厳格な神観念がなかなか理解されないのが現状です。
一神教であるキリスト教でも、カトリックなどでは多神教に対し寛容な態度をとっています。
しかし、厳格性を保持する一部のプロテスタントやカトリックの中には、神社の参拝を拒否する信徒も見られます。
では、唯一神の信仰とは何かを理解するため、「イスラームとは何か」(イスラミックセンタージャパン)と題するパンフレットの記述を紹介してみると…
イスラームとはアラビア語で平和、従順、純粋、服従などの意味を持ちますが、宗教的には『アルラーへの帰依』を表します。
ムスリム(筆者註·イスラーム教徒)は、宇宙の創造主である唯一無二の真実の神アルラだけを崇拝し、その予言者たちと諸経典を信じ、アルラーの創られた天使たちの存在、定められた運命、審判の日、死後の生命などを信じる者です。イスラームにおけるアルラーの概念は、多神教での神々の概念とは全く異なり、通俗的に言われる山の神とか開運の神などの限られた性質のものではありません。
アルラーは宇宙創造の本源、あらゆる活動の原動力、そして宇宙に遍在する法則を支配する超自然的な存在であります。わたくしたち人間の生命はもちろん、極微の世界から極大の世界の一切に通ずる無限の実在を意味するもので、今日人類が月に到達することができるのも、この一貫した宇宙の法則が厳存するからで、もし宇宙に二つも三つもの神が存在して、それぞれに異なった原則をもって宇宙を支配しているとしたら、科学も宗教も全く異なったものとなり、人類の存在さえも想像をこえるものとなるでしょう。
多神教の場合は、さまざまな神仏の観念が存在しますが、総じていえば、根源となり本体となる神仏が存在しながらも、それぞれのところにおいて、その本体の働きを司る神仏を配している、と教えています。
したがって、我が国においては、各自の選択やその時々の祈願の内容によって、適切と思われる神仏への参拝がなされます。
この他にも、自己の持仏を定めて信仰に勤しむということも広く行われているのです。
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