あなたは浄土真宗についてご存知ですか?
今回は日本の仏教の宗旨のひとつである浄土真宗について勉強していきましょう。
浄土真宗とは?…浄土真宗の簡単に説明する
日本の仏教の宗旨のひとつ浄土真宗は、親鸞上人を開祖とする我が国最大(11万ヵ寺、1300万人)の伝統仏教教団です。
浄土宗から新たに独立した宗派で「非僧非俗(出家僧でもなく、俗人でもない)」を標榜し、妻帯(妻を持つことを公然と認めた仏教教団としても知られています。
親鸞は承安三(273)年、貴族·日野有範の子として生まれました。
幼名は松若丸です。
4歳の時に父を、8歳にして母を失ったため、九歳の年で伯父の縁故によって出家し、比叡山において念仏修行の生活を送りました。
20年が経過した29歳の時、これまでの修行によっても念仏者としての得心がいかず、叡山を下りて京都市内烏丸の六角堂(頂法寺)での享日参籠(神社·仏閣などにこもって祈願すること)を決意しました。
この六角堂に祀られている救世観音(聖徳太子の真実身として信仰されていた観音)を通して、日本仏教の祖と仰がれる聖徳太子に祈願をしたのです。
満願の5日前の未明に、夢の中で観音のお告げを受け、その明け方、堂を出た親鸞は、東山吉水で専修念仏(ただひたすら念仏する)を説く法然上人を訪れ、100日間通い続けて念仏による衆生済度を確信し、法然の弟子となりました。
その後、旧仏教側からの弾圧によって、親鸞は還(僧籍を離れて俗人にかえる)の上、越後(現・新潟県)に流されました。
この地で妻(恵信尼)を迎えた親鸞は、四年後に許されて常陸(現・茨城県)に移住し、60歳頃までの約20年、関東で布教に専念しました。
元仁元(1224)年、親鸞五十二歳の時、主著「教行信証」が完成し、この年をもって浄土真宗開宗の年としています。
60歳の頃に京都へ帰った親鸞は、90歳まで長寿を保ちましたが、その後、長男・善鸞との義絶などの心を痛める出来事が持ちあがっています。
親鸞の没後、末娘の覚信尼が東山大谷に建てられた廟堂を守り、代々この廟は覚信尼の子孫が守ることになっていましたが、覚信尼の孫・覚如の時、門弟と対立して訣別し、廟堂に本願寺という寺号をつけて独立しました。
この本願寺は、八代、蓮如(1415~1499)教化によって大発展を遂げましたが、十一代·顕如の時、織田信長との対立が原因となって父(顕如)子(長子・教如)が不和となりました。
そして秀吉の時代、顕如の跡目を末子の准如が継ぐと徳川家康が教如を支援し、本願寺は准如の系統(本願寺派、本山・西本願寺)と教如の系統(大谷派、本山·東本願寺)に分かれました。
現在に続く分派である本願寺派、大谷派、高田派、興正派、仏光寺派、木辺派、三門徒派、出雲路派、山元派、誠照寺派を真宗十派と呼びます。
教えの中心としては、念仏すること自体、阿弥陀如来の本願力によるという絶対他力の念仏を説いています。
本尊は阿弥陀如来(絵像または文字の本尊「名号本尊」を祀る)になります。
主要経典は「浄土三部経」および親鸞著「教行信証」になっています。
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