目次
あなたには信じる宗教がありますか?
また、宗教を信じる人でも信じない人でも、宗教にどのようなイメージを持っていますか?
日本人にはあまり馴染のない「宗教」…
そもそも、あまり良いイメージを持っていない人も多いかもしれません。
そこで今回は「宗教って何?」というお話をしてみたいと思います。
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世界中の人が信仰する「宗教」とは何なのか?
「あなたは何か宗教を信じていますか?」と問われた時、「いいえ」という返事は、おおむね「特定の宗教団体には属していません。」、あるいは「家の宗旨はあるが、自分は深く関係していません」という意味で用いられることが多いようです。
この「いいえ」は真の意味での無神論者…
つまり「自分は一人だけで生きられる。孤独など怖くもない。来世など信じない。オレが死んだら、遺骨は海にでも捨ててくれ。」というような拒絶的な態度とは程遠いものだと考えられます。
宗教団体の信者でないからといって、ただちに神とも仏とも無縁だということではありません。
現に、特に宗教を信じている意識のない人のほとんどが、人生のさまざまな場面で、宗教との出会いを体験しています。
結婚式やお葬式、初詣、生まれた子どものお宮参りなども、広い意味で宗教の一部なのです。
つまり宗教との関わり方には、深い・浅いがあるのですね。
これは「消極的関わり方」と「積極的関わり方」といった方がいいかも知れません。
最も消極的な関わり方は、冠婚葬祭などを人生の儀礼として社会とのお付き合いとしてやり過ごすというものです。
そして、もう少し明確に神仏を意識するのが、いわゆる「苦しい時の神頼み」です。
人生の重大事に際して、思わず「神様」とつぶやいた経験は誰でもお持ちでしょう。
さらに、病気や不遇な状況で安心感を得たいために神仏にすがる…
といったケースもあるでしょう。
ただ一般的には苦しみや不安感が取り除かれる…
それで宗教との関係も終了する場合が多いようです。
困っている時だけ助けてほしい…
という信仰態度は、「ご都合主義」といわれても仕方がないでしょう。
真の信心とは、長い年月をかけて自身が培うものだからです。
では、もっと積極的に宗教と関わろうと思った場合、どうやって自分に合った宗教を選べばいいのでしょうか?
これは大変むずかしい問題です。
一人ひとりにふさわしい学校や職場があるように、宗教にも絶対無二の正解はありません。
ただ、「円満な人間に至る道を教え、そのためにどう歩むかのヒントを授ける」という当然のことを第一義にしている宗教かそうでないかが、正しい選択をするための尺度となるのではないでしょうか。
さらに言えば、特定の宗教団体に属さなくとも、宗教心を大切にして人生を豊かにする方法はいくらでもあります。
たとえば、ある神仏に興味を持ったら、それらが祀られた神社仏閣を訪れてみる…
何らかの「願(がん)」を胸にして霊場巡りをする…
あるいは、宗教に関する講演を聴いたり、宗教書を読む…
これらもアプローチの一手ですね。
これらはいずれも、自身の主体性に応じて宗教との出会いを図る方法なのです。
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人はなぜ「信仰」するのか?
宗教とは私たちにとって、どのような存在なのか?…
日本の二大宗教は、言うまでもなく「仏教」と「神道」です。
では、この「仏教」が教える宗教生活とはどのようなものなのでしょうか?…
それを第253世天台座主、山田恵諦氏は次のように語っています。
私はどなたにお目にかかりましても、例えばどんなちっちゃなことでも、一つのことが成功するためには、必ず三つの力が必要である、と申し上げる。
三つの力とは何かと言うたら、自己の最大の努力。自分が努力せずにできません。
それから周囲の援助。
そして、神仏のお守り。
この三つがそろいさえすれば成る。
だから、どうぞ、皆様、ああ良かったとおぼしめしました時には、必ずこの三つがそろっているということを胸に抱かれまして、その度ごとに感謝をしていただければ、この感謝の生活をすることが宗教生活なんでございます。
引用:桐ヶ谷寺法話録
では「神道」においては、生活面で、どのような営みが求められるのでしょうか?…
国学院学教授で神道学者の平井直房氏は、それを次のように記述しています。
神道の理想は何かという問題は、にわかに結論づけることはできないが、少くとも個人の次元で言えば、神の恵みのもとに「まことの心」をもって自他を調和的に生かすことのできる、人間らしい人間になること。
社会の次元で言えば、家族から世界全体に至る種々のグループの、平和共存ということかと思う。
このような理想をめざして、たとえ一歩ずつでもこの世で努力することが、われわれの使命であろう。
引用:「世界の宗教」仏教伝道協会
一方、仏教·神道(多神教)と異なる一神教の「キリスト教」は、宗教生活について、どのような座標を設定しているのでしょうか?…
この点について、ペトロ·ネメシェギ(カトリック神学者)は、次のように述べています。
人間とは、信じる生き物であると思います。
社会や家庭の中で生きる時、もしだれをも信じることがなければ、とても不幸です。
誰も信じられず、ついに自殺してしまう人がいます。
「私はあなたを信じます」。
これが信仰の根本です。
何かの主義や説を信じるのでなく、「あなた」を信じるのです。
引用:「愛といのち」聖母文庫
さて、いくつかの著名な方の宗教観についてご紹介しました。
宗教はこのように、私たちにとって「人生の友」であり、「善き友」、「頼もしい友」となり得るものです。
したがって、この「友」の存在をもっと良く知ることは、「最善の人生」への第一歩となるものであると言えます。
信仰する人にはこのような思いがあるのでしょう。
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