明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)という言葉をご存知でしょうか。
この機会に「明珠在掌」の言葉の意味を学びませんか?
禅語の明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)を知る
明珠とは透明で曇りのない珠玉(宝石)のことです。
ここでは「仏性」、「仏心」を明珠になぞらえているのです。
掌とは手のひら…
自分の中の仏性に目覚めて生きよということです。
「法華経・五百弟子授記品(じゅきぼん)」に、こんなたとえ話があります。
ある貧しい男が裕福な親友を訪ね、歓待を受けます。
親友はなんとかこの男を貧窮から抜け出させてやろうと思い、男が寝ているうちに一生お金に困らないほど価値のある「明珠」を着物の裏に縫い込んでやります。
しかし、男はそれに気づかず、ますます貧乏になり、物乞いに身をやつして流浪の日々を送ります。
その後、偶然再会し男の哀れな姿を見た親友は、「ずっと宝物を肌身につけていながら、それに気づかずに苦しんでいたとは、なんてばかげた生き方をしていたのだ」と、「明珠」のありかを示します。
言われて男はやっと「明珠」に気づき、心の平安を得てゆたかに暮らしたということです。
私たちも、自分が持っている美しい宝物に気づかず、外ばかり見てもがいたり、苦しんだり、泣いたりしてはいないでしょうか。
でも、だれでも「明珠」、つまり仏の心を持って生まれているのだから、みずから気づいてそれを磨けば、きっと明るい輝きを放つというのがこの禅語です。
「明珠」はあなただけの個性や能力と置きかえることもできます。
それに気づき、信じて、磨きましょう。
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