「水到(みずいた)れば渠成(きょな)る」…この禅の言葉をご存知でしょうか?
水が流れていけば、そこには自然と溝ができる…
という意味です。
水が流れて溝ができ、やがて大河になることもあります。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
と始まる高村光太郎の「道程(どうてい)」という詩を思い浮かべる人もいるでしょう。
あなたの歩んだあとにはひとすじの道が残るのです。
「老子」にも「最上の善は水のようなもの」(上善如水・じょうぜんじょすい)ということが説かれています。
水は万物に利益をもたらしながら、決して他と争わず、丸い器に入れば丸くなり、四角い器に入れば四角におさまる。
しかも人の嫌がる低い位置に身を置く…というのです。
この「水到れば渠成る」という語は、すぐれた師のもとには自然と人が集まってくるという意味に用いることもあります。
急ぐことはないのです。
人を傷つけることなく、方向を見失うことなく、粛々(しゅくしゅく)とあなたの信じる「道」を歩んでいきましょう。
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