最近では当たり前のように使われる言葉に「空気が読めない」というものがあります。
いわゆる「KY」というヤツですね。
確かに誰かと話をするとき、たしかに空気を読むことは大切です。
ただ問題なのは「空気とはいったい何か?」ということがはっきりしない点です。
あなたは「空気」という存在をはっきり認識しているでしょうか?…
特に日本語の場合、曖昧(あいまい)なものを曖昧なままにしておくことが、とても多いようです。
実際に「空気を読め」といわれても、肝心の「空気」の存在がはっきりしなければ、どう読めばいいのかわかりません。
元来、脳というのは論理的に機能するものです。
曖昧では脳が正しく働きません。
いくら私が自分の脳に「空気を読め」と指令を出しても、「空気」が曖昧なままでは、脳はどう動けばいいのかわからないのです。
ちなみに仏教の世界でも常に科学的かつ具体的です。
曖昧なままでは、正しい共通理解が得られないので、どんなものでもはっきりと定義されます。
はっきりと定義されるからこそ、人々はその概念を理解し、自分の成長に役立てられるのです。
では、ここでいう「空気」とはいったい何でしょうか?…
結論からいってしまえば、空気とは「共通点」です。
たとえば、三人が集まって話しているとします。
人にはそれぞれ自分を中心とした輪のようなものがあります。
自分の知識、興味の対象、感覚的に反応する事象など、自分の領域みたいなものです。
三人集まれば、当然三つの輪が存在します。
その三つの輪が重なっている部分、つまりは共通点がその場の「空気」となるわけです。
「共通する環境」といい換えることもできるでしょう。
たとえば、Aさんが、「実は最近、こんなことに興味を持ってまして…」と話し始めたとします。
ところが、Bさん、Cさんがその内容にまったく興味を示さなければ、Aさんは「空気の読めないヤツ」と思われるでしょう。
三つの輪の交わっている部分でなく、自分一人の領域で話しているからです。
つまるところ、共通する環境に則って話ができていないわけです。
複数で話をするとき、注目すべきは共通点…
ここを意識してみてください。
知識や経験という共通点はもちろん、興味や気分についても「どのあたりが共通しているのか?」を考えることが、いわゆる「空気を読む」ことなのです。
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