最近は和服を着る機会も少なくなってきました…
ところで現在の和服は右前ですよね?
「右前」の右とは、着る人側から見た向きで、前は「着る人が先に自分の肌を密着させる側の布」という順序を表しています。
和服において「左前」は死に装束を意味しており、通常はこのような着方をしません。
では、いつからこのような仕来(しきた)りが生まれたのでしょう?
まず歴史的には、奈良時代の養老3年(719年)に出された「衣服令」という法令が起源とされています。
同法令の中には「初令天下百姓右襟」という一文があり、要するに「庶民は右前にしなさい」と定めていたのです。
これを機に右前が定着し、徐々に上層階級にも広まっていったとされています。
それ以前の上層階級は左前だったのです。
当時の中国の文化では、左の方が右より上位とみなされていたことから、位の高い高貴な人にだけ左前は許されて、庶民は右前に着ていました。
これが日本に伝わり、右大臣・左大臣など、古代日本でも「左」が「右」より上となったのです。
まら別の説としては、左前は右前と比べて動きにくく、肉体労働には不向きであることから、労働しない貴族にのみ左前が許されたとも考えられています。
ちなみに死者の衣服を左前にするのも、「人は死ぬと神や仏に近づいて位が上がる」…
という思想から広まった風習だったのです。
この記事へのコメントはありません。