人類が営々(えいえい)と積みあげてきた歴史が、いずれ終わるという考えを「終末思想」といいます。
これを唱える宗教は少なくありませんが、特にキリスト教では、大きな意味を持つのです。
終末をもたらすのが、神だからです。
このとき神は、死者を含む全人類を、罪なき者と罪ある者に分けて、前者を天国へ引き上げ、後者を地獄へ落とすといいます。
この神による審査が「最後の審判」です。
キリスト教はユダヤ教からこの概念を継承したのですが、同時にその意味合いを大きく変えました。
ユダヤ教では、天国へ召される(救われる)のはユダヤ民族、地獄へ落とされる(罰を受ける)のは、彼らを迫害してきた異民族とされました。
しかしキリスト教は、民族の枠を超えて全人類が罪の有無を問われるとし、だからこそその日に備え、あらかじめ悔い改めよと説いたのです。
では、終末はどうやって訪れるのでしょうか?…
「ヨハネの黙示録」によれば、それは天国で「7つの封印」が解かれることから始まるといいます。
最初の4つが解かれると、「黙示録の4騎士」が出現し、終末の先触れとなります。
第7の封印が解かれると、「7人の天使」がラッパを吹き、終末の本格的な開始を告げるのです。
第1のラッパで地上の3分の1が焼け、第2のラッパで海の3分の1が血になり、第3のラッパで水の3分の1が毒に転じ、第4のラッパで星・太陽・月の3分の1に異変が発生…
第5のラッパでイナゴの大群が地上を襲い、第6のラッパで2億の騎兵が人々を虐殺、第7のラッパで大地震が起こって、大粒の雹(ひょう)が降るのです。
例の、666の数字を持つ「獣」が登場するのはこのあとです。
獣をあがめ、その支配に加担した人々に、神は再び7人の天使を遣わします。
天使たちが鉢に盛られた神の怒りを地上へぶちまけ、またも天変地異が多発…
これらが一段落したら、いよいよ審査タイムです。
大天使ミカエルが秤で人々の魂をはかり、天国行きか地獄行きかを決めるのです。
その裁きの凄まじさは、バチカンのシスティナ礼拝堂にて、目で確認できます。
ルネサンス期の芸術家ミケランジェロが、6年の歳月をかけて描いたかの有名な大壁画は「黙示録」の描写をビジュアル化したものなのです。
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