キリスト教は、神と信徒との間にイエスという人間をおいたことが特徴です。
とはいえ、一神教で、唯一神の他に崇拝の対象があってはおかしいことになります。
この点は、古代には神学論争の大きなテーマになっていました。
また、聖晝にはイエスの他に、聖霊という概念が登場します。
これはいわば、神の意志を受けた生命の息吹のようなもので、聖母マリアの身体に聖霊が宿ったことでイエスは神の子として生まれたと語られているのです。
さて、イエスも聖霊も神と同一のものなのか、別の存在なのか?…
初期のキリスト教神学者たちは、この問題にさんざん頭を悩ませました。
最終的に、4世紀の神学者アウグスティヌスらが「三位一体論」という概念を唱えて体系化し、これがカトリック教会などで正統の解釈とされています。
三位一体論とは、父たる神、子たるイエス、そして聖霊は、別々の姿をとりつつも、その本質においては同一の存在だとする考え方を指します。
この三位一体論の考え方は、325年のニカイア公会議で正統とされた、神とイエスを同一視するアタナシウス派の考え方を踏まえています。
たとえて言えば、水という物質は、固体の氷、液体の水、気体の水蒸気と形を変えても、その構成元素は変わらないということに近いかもしれませんね。
こうした問題は、多神教ではあまり深刻には考えられません。
異なる時代、異なる地域で信仰されていたものが同一視されるのはよくある話だからです。
たとえば、ヒンドゥー教では破壊神のシヴァと嵐の神ルドラが同一視されたり、仏教の祖ブッダが世界を維持する神ヴィシュヌの別の姿と見なされたりします。
しかし、一神教では、神と同格の存在が複数あっては矛盾が生じてしまい、ひいては一元的な教会組織への帰属が保てなくなります。
そこで、三位一体論が確立されるまで、キリスト教会では真剣に神学論争がくり返されたのです。
ちなみに、それではキリスト教の天使の位置づけはどうなるかというと、天使はあくまで神の従属物、神より下の存在とみなされています。
つまり、地上で生まれたイエスは、天上で生まれた天使よりも格上の存在となるのです。
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