「喫茶去」という言葉の意味をご存知でしょうか。
茶席でもおなじみの禅語に「喫茶去(きっさこ)」というものがあります。
禅僧・趙州和尚は、新米の修行僧にも位の高い僧にも同じように「喫茶去(まあ、お茶でも召し上がれ)」と語りかけたと言います。
「喫茶去(きっさこ)」は、茶席でもおなじみの禅語で、一説には「お茶でも飲んで出直せ」の意味もあると言います。
それでは「喫茶去(きっさこ)」のついてより詳しくみていきましょう。
名前:趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)
生年月日:778年~897年
出身地:曹州臨淄県郝郷(中国山東省)
宗派:禅宗
著作:趙州真際禅師語録
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茶席でもおなじみの禅語「喫茶去」の意味
人が来たらお茶をすすめよう…
ごはんをいただいたら茶碗を洗おう…
唐代を代表する禅僧・趙州和尚はそんな当たり前のことを弟子たちに語りかけながら、禅の奥義を極めていきました。
初対面の雲水(修行僧)にも、古参の高僧にも、ただ等しく「お茶でも飲みなされ」とすすめる言葉に、まずはいろいろな執着を捨て、利害や相手の地位・賢愚を超えて、分けへだてなく相対することの大切さが込められています。
茶道において、茶室では客はその地位や肩書きのいっさいを脱ぎ捨て、亭主は老若男女すべての客に平等に接します。
日々の暮らしでも相手によって態度を変えたりすることなく、いつも泰然として平常の心でありたいものです。
ちなみに「茶碗を洗う」とは?…
あるとき一人の雲水に修行の心構えを問われた趙州は、「ごはんは食べたか?」と訊き、「腹一杯食べました」と雲水が答えると、「ごはんの後は茶碗を洗っておくのだぞ」と諭したといいます。
学んだ跡や修行した跡をとどめるな、自分のものとして消化しつくして「くさみ」を消し去ってしまえ…
というなかなかに深い言葉でもあるのです。
そんな趙州和尚は、60歳で黄檗希運(中国唐代の禅僧)や塩官斉安らの下で修業し、80歳で趙州(河北省)の観音院(東院)に住まい、それからも120歳まで生きたと言われています。
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