現代は、競争社会と化しています。
良い意味でのライバルとして、お互いに良い刺激を与えることにより、良い結果をもたらすことも大いにあるでしょう。
しかし、必要以上に争わせることにより、それが大きなストレスとなり、最悪の場合、自殺者を生んでしまっていることも事実です。
改めて、仲間とはどういうものか。
ここではこのテーマについて考えてみたいと思います。
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競争社会は果たして必要か?そのデメリットとは?!
仲間とは何か…
難しく考える必要は全くなく、単純に「協力し合うもの」です。
ただ単に、その意識さえあれば、仲間とはうまくやっていけるはずです。
ところが実際には、協力どころか、競争し、足の引っ張り合いをしていることもよくあります。
表面上は協力しながら、心の中で競争しているというケースもあるでしょう。
嘆かわしいことに、社会や会社全体が競争を奨励しているところも多く存在します。
だから、本当の仲間がいなくなってしまうのです。
そもそも競争とは破壊、奪い合いです。
そこからは何も生まれません。
例えば、アメリカは競争が当たり前の社会です。
アメリカの企業の多くは、同じ会社の社員同士を競わせて、その成績によって優劣をつけています。
日本にも似たような会社はいっぱいあります。
20年程前から、実力主義、成果主義がもてはやされ、社内競争が激化しています。
しかし、はっきりいって、そんなやり方が長く通用するわけがありません。
競争社会というと、経済が活性化して、社会全体が盛り上がると思っている人も多いようですが、それはあきらかに近視眼的な発想です。
一時的には儲かっても、永続的にうまくいくシステムではありません。
本来、世の中は共存の世界だからです。
競争を繰り返して、最強の存在を決めるような世界ではありません。
どんなに激しい競争をしていても、ひとたび大きな災害が起これば一人では何もできません。
そんな中で私たちは互いに協力し、助け合って生きていくしかありません。
平穏な日常を暮らしていると、「私たちは協力しなければ生きていけない」ということをすぐに忘れてしまい、またしても競争の世の中に戻ってしまいます。
しかし、東日本大震災のときのことを思い出せば、私たちが協力し合わなければいけないことはあきらかではないでしょうか。
自然の猛威の前で、私たちができることなどありません。
ただ、その環境をそのまま受け入れるしかありません。
そんな状況のとき、私たちは協力することによってのみ、復興を果たしたり、命をつないだりすることができます。
ちょっとくらい営業成績がいいからといって、たった一人で何ができるのでしょうか。
壊れた建物や道路をつくり直すことができるでしょうか。
競争社会の勝者だって、結局、何もできないのです。
そこまでの有事でなくても、状況は同じです。
社員同士が協力し合える会社なら、あなたが個人的な用事があるときに「この仕事、代わりにやっておいてくれないかな」とお願いすることができます。
すると相手は「自分がやっておくから、急いで自分の用事を済ませてきたらいいよ」と答えてくれるでしょう。
当然、立場が逆になったとき「相手を助けよう」という気持ちになります。
ところが、相互協力できない会社では、こうはいきません。
家族に何かあったときでも、仲間に仕事を頼むことができない。
結果として、あなたは「家族をないがしろにするか」「自分のキャリアを投げ打って、社内の敗者となってしまうか」を選択しなければならなくなります。
実に厳しい選択ですよね。
そんな会社で働くことが、果たして本当に幸せでしょうか。
どんなに成績が優秀でも、いかに給料が高くても、いつかは精神が壊れてしまいます。
自然界に目を向けてみると、野生の動物たちの中には、自分の欲望に任せて際限なく獲物を食べるものはいません。
肉食動物が草食動物を食べるときも、草食動物が草木を食べるときも、必要な分に留め、けっして食べ尽くしたりはしないのです。
命を奪い合うという究極の敵対関係にありながら、世界が共存社会であることを、彼らは本能的に知っているからです。
自介のことだけを考え、必死に他人と競争し、売上げを伸ばすことに全力を傾ける。
そんなことをしているのは人間だけです。
仲間とは、協力し合うもの。
世界とは共存していくもの。
何も道徳的な意味でいっているのではなく、それがこの世界の摂理なのです。
競争をして、自分だけが生き残ろうなんて、一時的には成功しても、いつかは滅びてしまいます。
個人レベルはもちろん、会社や国家レベルにおいても、そのことを改めて考え直す必要があるのではないでしょうか。
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