日本語では、よくカトリックは「旧教」、プロテスタントは「新教」として訳されます。
先に存在したのはカトリック、あとから生まれたのがプロテスタントだから、けっして誤りではないのですが、このように両者を対比することは、誤解を招く要因にもなっているのです。
それは、どちらもキリスト教の一派としては同格…
といった誤解です。
しかし実際には、両者の関係は同格ではありません。
といっても、組織の規模や信徒数に差があるからでもありません。
カトリックという名の宗派が存在するのに対して、プロテスタントという名の宗派は存在しないからです。
プロテスタントとは、多数の宗派をまとめて呼ぶときに用いられる、総称なのです。
そのうち、最初に誕生した宗派は、15~16世紀ドイツの神学者、マルティン・ルターが興した「ルター派(ルーテル教会)」でした。
当時、カトリック教会の本拠地であるローマでは、最高指導者ローマ教皇のお声がかりで、サン・ピエトロ大聖堂の大改築が行なわれていました。
ところが、教皇自身の浪費が原因で、工事費用が不足…
教皇庁はそれを補うために、「免罪符」を大々的に販売したのです。
免罪符とは、信徒が犯した罪が、聖職者のとりなしによって神に許された証として、教会が発行する証明書のことです。
それが金で売買されるということは、金さえ払えば罪を犯してもよいというようなものでした。
潔癖なルターは、そんな風潮に異を唱え、カトリック教会を公然と批判したのです。
同じような違和感を覚えている者は少なくなかったので、たちまちドイツ中に、彼を支持する声、教会を批判する声が広まっていきました。
教皇庁は、ルターに圧力をかけてその口を封じようとしましたが、世論を味方につけたことで勇気を得たルターは、圧力に対する「抗議文(プロテスタティオ)」をカトリック教会にたたきつけ、そこから離脱…
支持者の援助を受けて、独自に新たな教会を発足させました。
プロテスタントという呼称は、これに由来し、「抗議する者」という意味を持ちます。
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以後、ルターに感化されて反カトリックを表明する人々が、次々に現われ、新たな宗派を立てる動きが、西ヨーロッパ全域で活発化しました。
そのムーブメントを、「宗教改革」といいます。
ルターと並んでこの運動に多大な影響を与えたのは、スイスのウルリヒ・ツヴィングリと、フランスのジャン・カルヴァンでした。
チューリヒで反カトリック運動を展開したツヴィングリは、カトリック教徒と戦い、志なかばで戦死してしまいましたが、カルヴァンはカトリックを批判して母国を追放されたのち、亡命先のスイス、ジュネーブで支持者を得て、「カルヴァン派」を興しました。
また、イギリスでは「バプテスト派」が誕生…
同派はやがて、アメリカ合衆国で大発展を遂げます。
慈善団体「救世軍」の母体となった「メソジスト派」も有力な宗派へと成長しました。
ちなみに、21世紀の現在も、18世紀の農民のように古風で質素な共同生活を営んでいることで知られる、米国の「アーミッシュ」は、オランダ発祥の「メノナイト派」の分派です。
これら各宗派が、同じプロテスタントでありながら、ひとつにまとまることなく、それぞれ独立を維持しているのは、微妙に、あるいは大幅に、教義が異なるからなのです。
ただし、多くのプロテスタントは、「福音主義」を掲げるという点で、共通しています。
福音主義とは、教皇をはじめとする聖職者の権威を否定し、「聖書」にのみ忠実であろうとする思想を指します。
だからこそ、基本的にプロテスタント諸派には、「神父」が存在しません。
かわりに「牧師」がいますが、彼らは聖職者ではなく、信徒の代表と位置づけられており、権利や義務は一般信徒と同等なのです。
そのため、牧師はカトリックの聖職者と異なり、結婚も許されてい
胸で十字を切る習慣がなく、聖人崇拝をみとめず、教会が装飾性に乏しいのも、福音主義にもとづくプロテスタントの特徴なのです。
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