イタリアのトリノにある聖ヨハネ大聖堂に、一枚の古い布が保存されているはご存知でしょうか。
「トリノの聖骸布(せいがいふ)」と呼ばれているその布は、縦4.36メートル、横1.1メートルの亜麻布で、表面には痩せた男性の全身像がネガ状(明暗が反転した状態)で染みついているように見えるのです。
男性の背中の部分には鞭で打たれたような傷跡と、手足には釘を打ちつけたようなあとが残されており、布には複数箇所、血痕も確認されています。
その姿は、まさにゴルゴタの丘で処刑された際のイエスと瓜二つ…
伝説によれば、この布はイエスの遺骸を包み、その姿が布に染みついたものだとされているのです。
聖骸布が歴史にはじめて姿を現わしたのは、1353年のこと…
経緯は不明ですがフランスで発見され、その後、持ち主を点々と変えながら、1453年は名門貴族サヴィア家の所有物となりトリノに移動しました。
以後、長らく個人の所有物となっていたのですが、1983年にローマ教皇に正式に委譲され、現在はトリノ大司教区が管理しています。
常に一般公開されているものではないのですが、時折公開されることがあるので、運が良ければ誰でも見ることは可能でしょう。
ちなみに、現在見られる聖骸布は一部が損傷していますが、これは1532年の火災によって損なわれたものなのです。
さて、この布については、発見以来、真偽をめぐり激しい論争が交わされてきました。
争点となったのは、まず布の男性像が描かれた絵なのか?、それとも遺骸が何らかの作用により転写されたものなのか?です。
そして、絵でないとしたら、この男性像はイエス当人なのか?、それとも別人なのか?ということもでした。
16世紀初頭のローマ教皇であるクレメンス7世は、布の男性像は絵であると断定…
キリスト教徒にとって神聖なものではないとしました。
しかし、これを本物あると考える人も多く、一般の信徒にとっては長らくイエスの痕跡を残す聖遺物の一つとして信仰の対象となり続けたのです。
もっとも、布の男性像がイエス当人か否かは別にしても、絵でない場合…
そもそも、どうやって遺骸の姿が布に転写されたのかについては、現在に至るまでも明確な説明は存在していません(いくつかの仮説は提出されていますが…)。
キリスト教の伝説には、聖骸布とはまた別に、イエスが布で顔を拭いたら布にその姿が残されたといった話が多く残されていますが、それらはすべてイエスの聖性ゆえの奇跡とされています。
20世紀になると、聖骸布に科学の分析のメスが入るようになりました。
1973年の調査では、布からレバノン杉をはじめする49種類の花粉が発見されています。
そのうち13種類は、生前のイエスが活動していた死海近辺にしか生えていない植物のものであり、これは本物説を裏づける大きな証拠の一つとされました。
また、その後の調査で、布に残された血痕が、本物の人間の血であることも証明されたのです。
ところが、1988年に大学の研究機関が中心となって放射性炭素年代測定を行なったところ、布の製作時期は13~14世紀であるという結果が出てしまいます。
これにより、一般的には聖骸布は後世の創作物であるとの意見が大勢となりました。
しかし、放射性炭素年代測定は誤差の大きい測定方法で、これだけでは完全にニセ物とまでは断定できないとする者もいます。
また、大学の研究機関が測定したのは、13~14世紀に補修のために継ぎ足された部分であり、布の本体を測定したわけではないという異論もあるのです。
確かに、先に紹介した1532年の火災による損傷のように、聖骸布には長い年月の間に何度も破損・補修された痕跡があり、そういう意味では、布のどの部分を測定するかで年代の判定は変わってきてしまうのでしょう。
そのため、布の真偽をめぐる議論は現在も続いています。
ちなみに、カトリック教会では聖骸布の真偽の判断はせず、確実にニセ物とわかるまでは信者の信仰の対象として認めるという立場をとっています。
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