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日本における「イエズス会」の正体とは?

数あるキリスト教組織の中でも、歴史の教科書を通じて日本人にもよく名前を知られているのが、イエズス会(ジェズイット会)です。
イエズス会は、1534年にイグナティウス・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルを中心に結成されたカトリックの修道会で、フランスのパリで旗揚げしたのち、1540年に正式に教皇庁に承認されました。

会の設立者ロヨラは元軍人で、戦傷によって戦場を離れたときに多くの書物を読み、「キリストの兵士」となることを決意したといいます。
このためか、イエズス会は軍隊のように厳しい規律を誇り、宣教のためなら未開の土地にも飛び込んでゆく戦闘的な性格の団体でした。

それゆえ「教皇の軍隊」、「ローマ教会の近衛軽騎兵隊」などとも呼ばれています。
イエズス会設立の大きな目的は、当時進行していた宗教改革に対抗することでした。

このためイエズス会は、学校設立などの他、異端撲滅、アジア、アフリカ、南北アメリカ大陸など異教徒への宣教活動を積極的に行なったのです。
この活動は、時として異端や異教徒との衝突をともなう危険な仕事です。

もともとロヨラは、スペインとフランスに挟まれたバスク地方出身でした。
バスク人は同じカトリック信徒の中でも、スペインとフランスの双方に常に脅かされる弱い立場の少数派です。

深読みすれば、ロヨラとその初期の仲間たちは、少数派出身ゆえに、教皇庁の権威のもとで危険な任務を背負い込んでいたのではないかと想像できます。



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イエズス会の海外宣教活動の一貫として、1549年にはフランシスコ・ザビエルが日本を訪れ、九州を中心にキリスト教の布教活動を行なったのです。

当時の日本は、戦国時代の後期…
多くの大名は、スペイン・ポルトガル人との交易を通じて武器や物資を得るため、キリスト教の宣教を認め、みずから信徒となる大名や大商人も少なくなかったのです。
特に織田信長は、キリスト教に改宗こそしなかったが、宣教師からの知識の吸収に積極的でした。

ところが、一部では、信長を滅ぼしたのはイエズス会だったのではないか?…
という歴史解釈があるのです。

つまり、イエズス会は当初、信長の日本統一を支援していたのですが、自分が神であるかのように振る舞う信長の態度に反発を抱き、明智光秀をそそのかして信長を討つように仕向けた…
という見方です。

実際、光秀の娘の珠(たま)は、細川家に嫁いでから洗礼を受け、キリシタンの細川ガラシャとなっています。
だが、珠の洗礼は本能寺の変よりあとで、イエズス会の宣教師として日本を訪れていたルイス・フロイスによる明智光秀の評価も低かったのです。

こうした点から、この説は信憑性に乏しいのです。
もっとも、日本におけるイエズス会は必ずしもまったく清廉潔白だったわけでもなさそう…

豊臣秀吉は、1587年にキリシタン宣教師の追放令を出したのですが、この背景には、宣教師による日本人の人身売買があったのです。
秀吉配下の武将だった大村由己(ゆうこ)は「九州御動座記」という文書で、長崎や平戸では、伴天連(バテレン・キリスト教の宣教師)によって日本人の男女が船に押し込まれ、海外に売り役されていたと記しています。

実際、当時のヨーロッパ人はキリスト教を宣教する一方、アフリカやアメリカ大陸などでは平然と奴隷売買を行なっていました。
こうした行為の背景に、有色人種の異教徒への差別意識があったのは間違いないでしょう。

ただし、奴隷の売買は当時の日本国内でも行なわれていたし、海外に奴隷を売ったのは、ヨーロッパ人から火薬などを手に入れようとする日本人の武士や商人だったのです。
したがって、イエズス会だけが責められるわけでもないのです。

イエズス会は日本を追放されたのちも欧米では長く活動したが、教皇への絶対的な忠誠やその戦闘的な性質のため各国の政府と衝突し、1773年には一度解散させられました。
しかし1814年には再建され、現在も活動を続けています。
余談ですが、日本の上智大学は、もともとイエズス会が設立したカトリック系の学校なのです。



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コメント

    • 濡れ落ち葉団長
    • 2020年 1月 20日 10:25am

    第208代ローマ教皇ニコラウス5世は1452年、ポルトガル王アフォンソ5世に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与える。
    1455年には教皇教書「ロマーヌス・ポンティフェックス」を出し、異教徒の土地と物品を所有する権利をポルトガル王に独占的に認めた。
    従ってバテレン追放令や禁教令が正しい。

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