米飯と主に魚介類を組み合わせた日本料理…
今や「SUSHI」と言っても海外で通じる「お寿司」のお話です。
物の数え方はそれぞれありますが、お寿司はどのように数えるでしょうか。
「一貫、ニ貫…」ですね。
そこで今回はお寿司を「一貫、ニ貫…」と数えるようになった由来に関して探っていきたいと思います。
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寿司を一貫、ニ貫と数えるようになった由来とは?
寿司は、もともと押し寿司のことをいいました。
木枠に酢飯を詰め、その上に塩漬けされたアジなどを載せて型で押し固めた寿司です。
江戸時代中頃までは、この押し寿司が主流でした。
しかし、押し寿司は注文を受けてから提供するまでに時間がかかってしまいます。
なんとか、もっと早くできる寿司はないものか?…
江戸は東両国にある「与兵衛鮨(よへえずし)」の主人、華屋与兵衛はそんな思いから、新しい寿司を考えました。
小さな酢飯の握りの上に具を載せる方法です。
これなら手早く握って、すぐに客前に出せる…
こうして誕生したのが、握り寿司です。
ただ与兵衛が握っていた最初の握り寿司は、生ネタを載せたものではなくエビのそぼろを載せたものだったようです。
江戸前寿司は細工したネタしか使わないといわれるのは、華屋与兵衛の最初の握り寿司が生ネタではなかったからかもしれません。
また寿司は一個二個ではなく、一貫二貫と数えます。
この数え方の由来には諸説あります。
一つは、金銭の単位だった「貫」に由来するというものなのです。
当時は穴あきの一文銭を約1000枚、紐(ひも)でたばねたもの(一さし)を「一貫」と呼んでいました。
この大きさがちょうど寿司と同じというのですが、1000枚ものコインを束ねたものですから、1メートル以上になります。
いくらなんでも大きすぎるので、その約10分の1の100枚を束ねた「百文さし」を江戸っ子が誇張して「一貫」と呼んだのではないかといわれています。
一方、当時から巻き寿司も存在していたので、それを一巻二巻と数えたのではないかという説もあります。
また、明治から大正にかけて、十銭を一貫と称したことがありました。
当時の寿司は一つ五銭くらいだったので、2つで一貫といったのではないかという説もあります。
いずれの説が正しいのか、未だにはっきりしていないのです。
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