我が国の民間信仰において伝承される神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物…
それが「天狗(てんぐ)」です。
一説には昔、体も大きく鼻も高い…
また日本人には知らない知識をたくさん持っていた西洋人を描写した姿ではないかとも言われています。
残されている姿には、服装は山伏のようで赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔する様子が描かれていたもしますが…
さて、この「天狗」とは一体どのような存在だったのでしょうか?
神様なのか妖怪だったのか…
今回はそんなお話です。
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天狗は神様なのか妖怪なのか?…
京都の鞍馬山(くらまやま)で、後に源義経となる牛若丸に剣術を教えたとされる鞍馬天狗(くらまてんぐ)…
天狗はしばしば山の神として、人にものを教えたり、気づきのヒントを与えてくれる教師のような存在として描かれます。
一方、保元(ほうげん)の乱で敗れ、讃岐に流された崇徳上皇(すとくじょうこう)は生きながら天狗となり、たたりをもたらす悪霊となったといわれています。
いったい、天狗は神なのでしょうか物の怪なのでしょうか?…
天狗が山の神にたとえられるのは、山伏(やまぶし)のような格好をしているからかもしれません。
山伏は、役小角(えんのおづの)を開祖とする修験道(しゅげんどう)の修行僧です。
修験道は、日本に古くからある山岳信仰を取り入れた日本独自の仏教で、険しい山の中での厳しい修行によって悟りを得ます。
それが天狗のイメージに結びついて山の神といわれるようになったのでしょう。
また、天狗とは現世において知識だけを追い求め、精神的な修行を怠(おこた)った僧が変化(へんげ)したものであるという説もあります。
知者であり仏法にも通じている僧は、それゆえに六道のうち、人間道には戻れず、また地獄、餓鬼(がき)、阿修羅(あしゅら)、畜生道にも落ちることができず、かといって修行を積んでいないので、天道にも上がれません。
その結果、六道から外れた天狗道に落ちることになり、輪廻(りんね)からも見放されてしまうのです。
膨大な知識によって天狗になってしまった僧にとって、天狗道から抜け出す道は、誰かに知識を渡してしまうことでした。
天狗がある意味で教え魔、教師のようになったのはそのためです。
神ともなり、悪霊ともなるのは、日本の神霊の定番ですが、天狗はどうもどちらつかず…
どちらからものけ者にされているような印象があります。
神としても認められず、かといって悪霊とも決めつけられない…
それが天狗道に落ちた天狗の宿命なのかもしれません。
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