無事是貴人(ぶじこれきじん)…
この言葉をご存知でしょうか?
これは臨済宗の開祖である臨済(臨済義玄)の言葉にある「無事是貴人、ただ造作すること莫れ、ただ是れ平2常なり」から来たものです。
無事是貴人は、お正月の掛け軸にも好まれる言葉ですが、禅でいう「無事」は仏道や救いを外に求めない心のことを指しているのです。
それでは無事是貴人(ぶじこれきじん)の言葉の意味をより詳しくみていきましょう。
名前:臨済 義玄(りんざい ぎげん)
生年月日:?~867年
出身地:曹州南華県(中国山東省菏沢市)
宗派:臨済宗(開祖)
著作:臨濟慧照禅師語録(語録)
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無事是貴人(ぶじこれきじん)の意味
私たちは、救いや幸福を自分の外にばかり求めがちです。
「いい人と巡り合えれば幸せになれるのに」、「もっと自分を正当に評価してくれたら世に出られるのに」など、外にばかり目を向けてウロウロと幸福を探しまわっています。
臨済禅師は「求心(ぐしん)やむ処(ところ)、即(すなわ)ち無事」として、外に求める心がなくなり、自分の内なる純粋な魂(仏性)と出会うことができれば無事であり貴人であると言います。
この「無事」は、普段つかう「無事でなにより」とか「平穏無事」とは異なり、救いや悟りの道を外に求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地をさしています。
「貴人」とは、安心を得た人、悟りを得た人、つまり仏です。
「ただ造作すること莫(なか)れ、ただ是れ平常なり」とは、外に向けてあれこれ騒ぎ立てず、自分がなすべきことをひとつずつ造作なく(はからいなく)こなしていくことが平常の道だということ。
「放てば手にみてり」を思い出してください。
外に求めれば求めるほど大事なものは遠くへ逃げていってしまいます。
欲や執着を捨てて「求心やむ処」に無事があり、幸福が待っています。
あなたの幸福のもととなるものは、すでにあなたの中にあるのですから。
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