チベット仏教圏で大切にされているお経が書かれた五色の旗を「タルチョ」と呼びます。
別名を「ルンタ」とも言いますが、旗の真ん中には「馬」が書かれており、この馬が風にはためいて、「遠くまでお釈迦さまの教えが届きますように…」というような願いが込められているものです。
さて、このチベット仏教も別名を「ラマ教」と言います。
日本では馴染のない、そんなラマ教(チベット仏教)とはどんな宗教なのでしょうか?
今回はそんなラマ教(チベット仏教)について学んでいきましょう。
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ラマ教(チベット仏教)とはどんな宗教なのか?
「ダライ·ラマ」というチベット仏教の「活仏」の尊称は、我が国でも周知の名称です。
チベット仏教は、インド仏教の伝統を引き継ぎながらも、この「活仏」を擁することによって「ラマ教」(俗称)と呼ばれているのです。
チベットに仏教が導入されたのは、ソンツェン·ガンポ王(581~649年)の時代でした。
同王がネパールから后を迎え、息子(クンソン・クンツェン)の妃を中国から迎えたことなどが縁となってインド仏教と中国仏教が伝えられたとされています。
その後、チベット仏教は、8世紀にボン教(古代チベットの民族宗教)徒による寺院の破壊や僧の追放などの破仏に遭い、また同時代にインド仏教と中国仏教との間で起こった論争(サムエ寺の論争)に敗れた中国仏教が禁止されるなどの出来事に見舞われました。
以後、チベット仏教は崇仏・破仏混交の時代を経て、十世紀前半に吐蕃王朝が分裂によって崩壊すると、同世紀後半から民衆の支持を受けて復興しました。
チベット仏教は、仏教復興後の11世紀に入って多くの宗派を成立させました。
チベット仏教の大きな特色である転生活仏(菩薩や高僧の生まれ変わり)は、14世紀カルマ派によって創設されたものです。
「ダライ·ラマ」は、ゲール派の活仏として16世紀に選ばれたのがはじまりです。
高僧ツォンカパのゲール派を受け継ぎ、その後継者ゲドゥン・ギャムツオの転生者・活仏に選出されたソナム・ギャムツォが、モンゴルの王アルタン・ハーン(アルタン汗)に招かれ、1578年、青海地方(中国・チベット・モンゴル三国の接点となる地)に赴き、アルタンから贈られた称号が「ダライ·ラマ(大海の師)」だったのです。
その後、ゲール派の転生者(活仏)の二代以前に遡って、それぞれ「ダライ·ラマ」の称号が贈られたため、歴史上初代のダライ・ラマ、ソナム・ギャムツォは、第三代ダラーラマとされることになりました。
そして1695年、ダライ·ラマ五世ロブサン・ギャムツォの時代、ダライ·ラマの居城ポタラ宮が完成(実際はダライ五世の没後、その死を秘して完成させた)しました。
その後、第9世から第12世までのダライ・ラマは、政争や病によって天寿を全うすることなく早世しています。
ポタラ宮の完成者・宰相サンギェー・ギャムツォによって、ダライ ラマが「観世音菩薩の化身」であることを称せられ、ダライ・ラマは、チベットの地を統治する最高権威者としての「法王」の地位を確立しました。
このため政争に巻き込まれるという事態に遭遇したのです。
現在、ダライ・ラマ14世テンジン・ギャムツォはインドに亡命していますが、代々ダライの生まれ変わり(転生)が信じられ、今日に至っています。
ちなみにダライ・ラマ14世は1989年に、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞しています。
そうしてラマ教は今日も、チット民衆の信仰として信奉されているのです。
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