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「知識」だけがやたらにあって、心が狭い人に会うと、とても残念に感じます。
そして、自分自身も表面上では優位に立って気持ちよくなってるつもりでも、心の奥底ではきっと虚しいと感じているのではないでしょうか。
人生を心から満足し、楽しむにはまず豊かな心を持つことが大切です。
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心の狭い人の悲しさ、豊かな心を持つ事の素晴らしさ
アメリカ人は教育に莫大なお金をかけて、子どもたちに「知識」を与えています。
子どもたちは小学校3年生になる頃には、100年前の人たちが一生かかって仕入れるほどの知識を手にすることになります。
しかし、それで心の許容量が広がったかといえば、そんなことはないです。
子どもたちは、心を広くするための「知恵」を教えてもらってはいないからです。
子どもたちが持っているのは「知識」だけです。
人を尊敬したり、愛したりといった知恵ではなく、性教育の知識や、効率よく会話を進める知識だけを得ているのです。
知恵を教えない教育は、心を貧しく偏狭にします。
本当の知恵がなければ、子供は、自分とは違う考えや価値観に対して、すぐに心を閉ざしてしまうことになります。
また、知識を持っている人は、選民思想を持っていることが多いです。
選民思想とは、自分が特別な種類の人間で、知識を持っていない人間はバカだ、という思い込みのことです。
こうなってしまうと、知識のない人の話には耳も貸さなくなる傲岸で不遜な人間のでき上がりです。
選民思想は、ごく小さい頃から植えつけられます。
勉強のできる子どもは、できない子どもを平気でいじめる。
いじめられっ子がどれだけ心を痛めているかということより、「自分は優秀なのだから、いじめる権利がある」と信じる心のほうが強いからです。
そう考えなければ、いじめっ子たちがあんなに残酷なことを平気でやってしまうことの説明がつかないのです。
つまり、知識というのは私たちに全能感を持たせる麻薬的な効果があるわけです。
心が狭いくせに知識だけは持っている人間。
こういう人間は最悪です。
周囲の人たちは煙たく感じるのだから、そういう人間にならないように注意しましょう。
頭でっかちになって、人の話を聞いていられなくなったら要注意です。
知識は確かに人生に必要ですが、それを万能だと思ってはいけないのです。
心を豊かにし、人とうまくつきあうには、知識よりも知恵のほうが必要だと認識することです。
そうすれば、「あいつは知識がないから、俺と付き合えるようなレベルじゃないんだよ」といったバカげた考えは抱かなくなります。
また、あなたは、すべてのことを「効率」から判断しようとする傾向がないでしょうか。
たとえば「朝日を見ると、とても気持ちがいい」という喜びよりも、「睡眠時間を少しでもとったほうが身体が休まる(はず)」という知識や効率のほうを重
視してはいないでしょうか。
こんな屁理屈を思いつくようなら、心が少しばかり狭くなっているかもしれないです。
また、ゆっくり裏道を歩くと新しい発見があって楽しいということより、車で効率よく移動した方が良いと考えてはいないでしょうか。
心の狭い人は、野辺の花を見つけてその香りを楽しむというようなことをしないです。
香りを楽しむより、もっと他にやるべきことがあると強く信じているからです。
「心の狭さ」の反対語は、「大きな喜び」です。
人生を詩的に楽しむ能力、ちょっとしたことに大きく感動する能力、あらゆる場面で生きる喜びを体感できる能力。
これらの能力を持っている人は、とても心が広く、たとえ違う意見を持った人にぶつかっても、自然体で接することができます。
「世の中には、自分と違う意見を持った人間がいたって、ちっともおかしなことじゃない」と柔軟に考えられるからです。
あなたがどんな行動をするにしろ、人生とは「損益計算」だけではやっていけないのです。
知識だけで頭でっかちの判断をしたり、効率だけで物事を決めたりしてはいけないのです。
人生にはたくさんの喜びが溢れています。
それを探し出すのは、決して「時間の無駄」ではなく、むしろ心を豊かにするための滋養になっているはずです。
心が狭いばかりに、せっかく新しい人間関係をつくるチャンスがあっても、それをぶち壊してしまう人は多いのです。
自分と意見の違う人とつきあって、”心の地平線”を広げようとは考えないからです。
また、「こいつとつきあうのは損か得か」という打算を働かせ、厳しいテストを課してから友人をつくろうとする人もいます。
もちろん、そういう打算的な試みは、決してうまくいきません。
なぜなら、損か得かを確認するためにテストを受けさせた方は不愉快な思いをして、「そんな人間とつきあうのは、こっちから願い下げだね」と思うからです。
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