1年に1度のイベント、ハロウィーン。
最近では、毎年ニュースで取り上げられるほど町中にコスプレをした人で溢れかえります。
ハロウィーンではなくても、今までにコスプレをしたことがあるという経験をお持ちの方も多いかもしれません。
そこでコスプレをする人たちにはどのような心理があるのでしょうか。
それではさっそく見ていきましょう。
コスプレをする人の心理とはどういったものなのか?
コミケやハロウィーンなど…
近頃では、何かイベントがあるたびに、若い人たちがこぞって「コスプレ」をする姿を見かけるようになりました。
あらためて説明するまでもないかもしれませんが、コスプレはコスチューム・プレイを略した言葉で、自分の好きなキャラクターを模した格好をするものです。
コスプレの歴史としては、日本では、江戸時代に流行した集団参詣や民衆踊りの際に仮装を伴うものが多く見られました。
また、江戸時代の京都では、人気芸妓が歴史上の人物や物語の登場人物に扮して祇園などを練り歩き、途中で馴染み客から「所望!」という呼び声が掛かると、立ち止まって役にちなんだ舞を披露する「ねりもの」と呼ばれる仮装行列があり、現在のコスプレ写真のように、個々の仮装姿が浮世絵に描かれ人気を集めました。
古くからハロウィンで仮装する伝統があるアメリカでは、1960年代後半からSF大会等のイベントにおいて、『スタートレック』等のSF作品に登場する人物の仮装大会 (masquerade) を行なっていました。
日本においてもアメリカで主に開かれる世界SF大会ワールドコンの影響を強く受けた日本SF大会で1960年代末から1970年代に既にコスチューム・ショーとしてプログラムの中に取り入れられています。
日本SF大会におけるコスプレは、1974年の京都大会からショウアップが行なわれて、翌年から定着したといいます。
1978年に神奈川県芦ノ湖で開催された第17回日本SF大会の仮装パーティーに於いて、当時はファンの一人だったSF評論家の小谷真理やひかわ玲子らで構成されたファンタジーサークル「ローレリアス」が、エドガー・ライス・バローズの『火星の秘密兵器』(創元SF文庫)の表紙イラスト(武部本一郎によるもの)を真似た格好で参加。
他の参加者がその姿を見てアニメ『海のトリトン』の仮装だと勘違いし、本人も強く否定しなかったことから、いつの間にかトリトンが日本のコスプレ第1号と言われるようになったとされます。
その後も日本SF大会ではコスプレのコンテストが行なわれました。
この「架空の人物に扮する」という行為は、活字でのSFファンが多勢を占めていた当時において特異な存在であり、ともすれば異端と見做され「SFファン」とは一線を画す、少数の限られた嗜好でした。
しかし、SFに対して何かしら一見識がないと参加し辛く、ハードルの高かったSFのコミュニティーで、単に「参加してみたかっただけ」というライトなSF層も「仮装」という見た目がわかりやすい形での参加が可能になり、それまで「覗き見」だけだった者らも取り込んでいくことになります。
コスプレは、普段の自分とは別人としての体験や、非日常を楽しめるものです。
そこでこれと同じ効果は、働く私たちにとってもなじみ深い「制服」にあります。
たとえば、看護師の制服には「純真」、「献身」、「優しさ」というイメージがあります。
客室乗務員なら「スタイルのいい美人」、「知的」というイメージでしょう。
実際、看護師をしている人の話では、普段は自分のことを特別優しくきびきびした人間とは思わないけれども、看護師の制服に着替えると、それだけでビシッと気持ちが引き締まり、テキパキと働く気がわいてくると言います。
そのほか、警察官のスタイルには厳格、規律正しいなどもあるでしょう。
つまり、制服には見る側にあるイメージを喚起させると同時に、着ている方に自分の役割を強く意識させる効果もあるようです。
したがって制服を好んで着る人は、自分の仕事における役割に誇りと生きがいを感じている人…
今の仕事が充実し、自分のアイデンティティを見い出しているからこそ、そんな自分を周りにアピールしたいと思っているのです。
以前、高校を卒業したのにもかかわらずセーラー服を着て街に遊びにくり出す女の子が、テレビで紹介されていました。
彼女たちは、まさに女子高校生ブランドを利用し、そのはじけるような若さというイメージをアピールすると同時に、セーラー服を着ることによって内面までも若返ったような自分を楽しんでいたに違いありません。
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