不倫の恋・・・・。
今はニュースでもこの話題をよく目にしますよね。
不倫と聞くとやはり良いイメージを持つ人はあまりいないでしょう。
どうしても悪いイメージが付きまといます。
しかし、不倫を経験した人にとっては、たまたま不倫という状況に置かれただけで、その人の事は心の底から本気で愛していたし、とても真剣な恋だった、と言いたくなるかもしれません。
確かに、不倫を経験した人は、不倫がしたくてしたわけではない!という人もいるでしょう。
そこで今回は、不倫はやはり絶対的にしてはいけない事なのか、また、不倫をする人の心情とはどのようなものからくるのか、を早速みていきましょう。
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不倫の恋はやっぱり悪いことなの?不倫の心境とは。
不倫であっても、恋に変わりはありません。
不倫は不当な恋で、そうでない恋が正当だということはまったくないのです。
誰かを好きになって、愛するという心には差はないからです。
冷静に考えれば、誰だって不倫が望ましくないことはわかります。
常に罪悪感と同居することになるでしょうし、その悩みや苦しみは深いものです。
妻という同性を傷つけてしまう場合もあるでしょう。
不倫に気付かれなければ、相手の妻を軽んじていいというものでもありません。
罪の意識から何度も相手と別れようと悩むこともあるでしょう。
そのうちそんなことに疲れ果てて、結局、自分の活力を失い、双方がうまくいかなくなるケースが多いものです。
不倫は特にリスクが大きいですよね。
相手が自分ひとりのものではないというリスク、結婚という将来が見えないリスク、実際に会う時間が限られているとか、人に公表できないとか、そういう制限的なリスクもあります。
つまり、ふつうの恋よりリスクが高いということは、相手を愛する幅がより大きくないとできないことなんですね。
たとえば、待ち望まないとか、いざとなればきっぱり身を引くとか、惨めさにも耐えなければならない。
そんな感情と常に向き合うたびに、自分を抑制しなければなりません。
行き着くところ、不倫というのは、相手から愛されたいと思うのではなく、自分が好きでたまらないという、愛するだけで満足できる人ができることなんです。
それができなければ、必ず相手を憎み始め、求め始める。
「奥さんより私を愛して」「私と一緒の時間をもっとつくって」「子供も欲しい」と言い始める。
愛情を相手に求めるようになったら、もう落第なんです。
いいですか。愛されることを求めないのが不倫の条件。
それでもいいと覚悟し、相手を無条件で好きになれるなら、不倫という愛の形も何らかの成長をもたらしてくれるでしょう。
でも、実際は、誰かを傷つけている分、自分も傷つくのが不倫なのです。
実はこの不倫、魂の観点からみると、自分のことが一番好きな人間に多く見られると思います。
誰よりも自分を愛し、誰よりも自分が可愛い人たち。
彼らは誰かと比較して、自分が勝ちたいという潜在意識が人一倍強いのです。
自分が優位な場所にいられると、なぜか魂が落ち着く。
だから不倫をして、自分のほうが本妻より愛されているという、比較による愛情を得たいのです。
不倫相手に「妻よりも君のほうを愛しているんだよ」と言われることで、自己愛が満たされ、自分が一番だと強く実感できるんですね。
それでも心の奥底は決して癒されることはなく、深く傷つき、また自分だけの殻に閉じこもっていく。
特別な寂しがりやで、大人になりきれない、それでいて自分が一番大事な人たち。
そういう人が、本妻よりもっと自分を愛してくれる人を求めて、不倫を繰り返してしまうのです。
こういう人たちにとっては、「本妻」という比較する相手が必要。
だから、独身の男性では物足りないわけです。
不倫に走ってしまう人たちは、自分が愛されたいと思っているうちは、おそらく魂の成長は望めないでしょう。
けれども、愛されることを求めず、無条件で愛することを知ったときに初めて、不倫の恋から愛する大切さを学ぶ。
そのときようやく愛されたい願望から卒業し、不倫の連鎖から足を洗う日がくるのかもしれません。
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